まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

モンキータクシー(平和、ハネモノ)

2012-12-31 11:04:28 | ハネモノ

1988年(昭和63年)に平和から登場した旧要件ハネモノ「モンキータクシー」

 

★賞球オール13、最大8ラウンド継続

役物内のサル2匹と、江戸時代テイストな「カゴ」が特徴。カゴ内部はステージになっており、ハネに拾われてステージ奥から転がってきた玉が、カゴ中央についた突起をうまくすり抜けて、手前Vゾーンに入賞すると大当りとなる。

 

大当り中は、ユサユサ揺れるカゴが貯留装置となる。突起の左右に3個づつ最大6個まで貯留され、その中央を後続の玉が通ってV入賞するルートが出来る。完走すれば出玉は多いが、パンクが多発する事でも知られ、個別のクセによる所も大きい。


 

「おさる」「かごや」と書かれた、左右の白いハネ。役物とパネルのイラストには、2匹のサルと古めかしいカゴ、そして童謡「おさるのかごや」の聴きなれたBGM。どう考えても、本機にピッタリのネーミングは「おさるのかごや」だったが、ちょっとウェスタナイズして「モンキータクシー」(MONKEY TAXI)と命名された。

私がパチ・スロの世界に足を踏み入れたのは、大学入学の1990年(平成2年)4月。以来、ドップリとその魅力に取りつかれて、怠惰な大学生活を送る事となった。

で、このモンキータクシーは、まだパチを始めて間もない頃、釘読みも未熟な時期に打っていた台だ。当然負けも多く、財布に入った僅かなバイト料をつぎ込み、「またサルにやられた」と、肩を落として家路につく定番パターンが思い出される。

当時、自分のテリトリーで本機を置いていたのが、私鉄O線・M遊園駅南口の「プラザ」というホールだ。ハネモノが充実した店で、ほかにもマジックカーペット(三共)、オールスター(三共)、ストライカー(三共)、スケボーキッズ(西陣)、パチンコ大賞13(西陣)という、見事なラインナップだった。なお、設置が特定のメーカーに偏っているのは、当時の傾向でもある。

ちなみに、デジパチはドリームX(奥村)一機種だけがズラッと並んでおり、ある意味壮観だった。また、スロでは青パネルのリバティベルIV(5ゲーム連Ver)をよく打った。

昭和末期に登場した本機は、老舗の「プラザ」で既に貫録十分といった風情だったが、残念ながら釘はシブかった覚えがある。それに加えてパンクが多発する為、打ち止めの4000発に持っていくのは至難の技であった。

ただ、ごくまれに、誰が打っても出るような開放台が落ちていて、さしたるスランプもなく予定終了まで一直線の時もあった。無事打ち止めにして、カウンターで特殊景品を受け取り、裏口を出てすぐ先の換金所で9000円程の現金に替える(当時の「プラザ」は2.2円交換)。「これで、明日もパチンコが出来るな…」とホッとする瞬間であった。

ふと、プーンと焼肉の芳しい香りがどこからか漂ってくる…そう、「プラザ」の換金所のすぐ傍には、焼肉屋があったのだ。肉の誘惑に駆られつつ、グッとこらえて近くの小さな蕎麦屋に入り、ご褒美に700円のカツ丼・大盛りを食べて帰ったものだ。それと、O線下りホームの今はなき「箱根そば」で演歌を聴きながら、タラコ唇のオヤジさんが出す天玉そばを食べていたな…。

ちなみに、「プラザ」のモンキータクシーは、かのスエイ編集長(末井昭氏)も実戦していた時期がある。氏の著書によれば、「プラザ」には昭和末期~平成元年の時期に通っていたようで、私が「プラザ」に足を運ぶ1年以上前、モンキータクシーやロボスキーといったハネモノで勝負したという。

当時、末井さんはM遊園駅に居を構えており、駅周辺の5件の店(プラザ、ぱちんこ遊園、スター、銀座ホール、ニューギンザ)を良くハシゴしていたそうだ。これも、私の行動パターンと全く同じである(笑)。

「プラザ」は、その後「ハトヤ」と名前を変えて営業を続けていたが、残念ながら2006年に閉店となり、現在では「TSUTAYA」が営業している。

(C)Google

(「プラザ」跡地…2Fにあった割烹料理「よしざわ」も既にない。右隣の「丸二百貨店」は、古くから営業)

 

※本記事が、今年最後の更新となります。当ブログを御贔屓下さった皆様、コメントをお寄せ下さった皆様、大変有り難うございました。来年も、またよろしくお願いします。なお、年明けの3が日は更新休止の予定です。