登山は賢者のスポーツ 23
兵どもの夢の跡 2013.07.07
県西南部佐伯町の吉井川東岸にそそり立つ急峻な山で、山上に戦国時代、
宇喜 多直家に滅ぼされた浦上宗景の天神山城がある。
登山道は、はじめ急坂の岩場から はじまり、
今にも落下しそうな垂直の岩壁を横目に、眼下にそのグリーンの鮮やかな 吉井川を ...
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登山は賢者のスポーツ 23
兵どもの夢の跡 2013.07.07
県西南部佐伯町の吉井川東岸にそそり立つ急峻な山で、山上に戦国時代、
宇喜 多直家に滅ぼされた浦上宗景の天神山城がある。
登山道は、はじめ急坂の岩場から はじまり、
今にも落下しそうな垂直の岩壁を横目に、眼下にそのグリーンの鮮やかな 吉井川を ...
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吉備の中山 天柱岩遊覧 2020.12.14
Por una Cabeza (Original) - Tango - Carlos Gardel
吉備路自転車道 山陽自動車道
みのるゴルフセンター
金甲山
児島半島 小豆島
頑張る奇
大吉備津彦命御陵
金の絨毯
地蔵さん何思う
木堂さんこの日本どう思う
28 春をめぐりて
造山古墳・幸山城跡 2020.3.29
コロナショックにより私は登山の様式が変化した。
基本的に単独行になった。
自転車でツーリングして登山道の入り口から目標の山の頂上を目指す
色々な発見がある。一つの山には登山コースが複数ある。
それを確認するために山のふもとを全て廻ることが必要になる。
その山の外輪を感じ古代からの風歴を感じ思考をめぐらす。
その一瞬を捉えカメラのファインダーを確認してシャターを押してる。
無我の境地 淡登水
Dances With Wolves - The John Dunbar Theme
こんな中国山地 山奥深くに、りりしく聳え立つ山はいまだしらない。
会いたくても逢えなかつた人にやつと逢ったような気がする岳
三ヶ上
この感動は自分で山を登った者しか解らないと思う。
いろいろ山行きは私なり重ねてきました。
そのとき考えたこと、思ったことを書き残そうと思います。
わたしは登山と言わず,山行きとして書こうとおもう。
その方が私の山の思いが合ってると思います。
山行きの内容はいろいろ多岐にわたります。
トレキング、尾根歩き、岩登り, 沢登り,雪山、
歴史探報(山城)最近、感動した山行きは三ヶ上(さんがじょう)、
こんな中国山地山奥にりりしく聳え立つ山はいまだしらない。
会いたくても逢えなかつた人にやつと逢ったような気がする岳 三ヶ上
タニウッギや 心にひめたる さんがじょう
ともか
2018.3.12
伯耆大山・烏ヶ仙 ・擬宝珠山 二俣山・皆ヶ山 ・蒜仙
上蒜山
上蒜
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登山は賢者のスポーツ
⑬ 登山中いろいろのことに遭遇する
登山中いろいろのことに遭遇する。そのときいろいろ決断しなければならない。
生死に関わる決断もある。単独行動の場合は自己責任で決断できる。
しかしパーティーを組んでいるときは少々事情は異なる。一番安全な方法を考える。
一番多いのがルートの迷いだ。正規ルートから獣の道に入って迷う時だ。
その時は早めにひっかえし、正規ルートに戻ることだ。
これは人生の対処法につかえる。私、かってそのことを何度も経験した。
しかし一回失敗したことがある。三平山である。
まだ20代に単独行動で初登山したときのことである。
まだまだこの山は登山の整備されてなく、国土地理院の地図を元にルートハンテングをした。
それは鳥大演習林の上部にある牧場を突き抜けて登山道に入ることだと思った。
その通り牧場を抜けて、登山道入ってと思って登って行った、
しかし登っても登っても登山道が見つからない、体力は消耗してくる。
精神的に焦りだす。その時に雨混じりのみぞれが降りだした。
ブシュのなかである。あとにも先に進めなくなる。時間だけが過ぎてゆく。
一瞬遭難したと思った。気を取り戻し、高度をあげて行こうと、がむしゃら登っていく。
体力が消耗する前にビバークも考える。
一瞬一瞬心が思考が変化していく。
悪戦苦闘苦闘いるときに長い溝に入りこむ。その溝から這い上がる。
なんとそれが尾根ずたいの登山道であった。
土塁である。その道で頂上までたどり着くことができた。
苦い登山の思い出であるが有難い経験となった。
そのときいっでも非常食を携帯する必要を感じた。
私が登山を初めのころは名のある山は整備され、登山ガイドがあった。
しかし、ローカルの山にはいいガイドブックが無かった。
地図をみて地形を頭にたたみこむ必要があった。
いまはインターネットですごい情報をもらえる。
デジカメでリアルに情報を得ることができる。
2年前ワンダ-ホウゲルの同窓会があり、20年ぶりに大山に登ってからまた山行きに憧れ、心に火をつけてしまった。
自分に体力があるあいだに憧れた山には登っておこうとおもう。
あすなろでなく、今この時、今を大切に感謝して、二度とない、時を大切して悔いのない登山をしていきたい。
2021年4月 変異株コロナで4波でまた春のレジャーも自粛ムードでしかも自然災害が頻発する可能性が増している。
こういう世の中だから学生時代に培ったワンゲルの自然の生活体験が生きてくる。
いざという時には野外で生き残れる方法を知っている。賢者になろう。
白山 骨折れる 事件発生 28 2015.10.04 [244]
1.下山して救急病院までの話
2.診断結果から一路岡山へ
3.手術からリハビリへ
4.この経験からいろいろのことうを思う
どうして骨を折るのだろうかと他人事と思っていた。
自分が実際なってみると骨が折れる以上に心も折れた。
この日は室堂は冷たい雨だった。
岩の上を歩くから滑りやすいと思っていた。
私は白山の下山は特に気を配った。
だけど転倒して右手橈骨遠位端骨折 惨め
1.登山靴が良くなく滑りやすい靴底だったのか? 道具の責任
2.足腰が弱ってきているんだろうか?
体力の限界
自分が滑った意識は全くない。
滑った一瞬に右横顔を強打したことは記憶にある。
あっと間の出来事で、顔が平べったい石に打ちつけられた。
その時すぐに体を起こし、我に戻った。その時右手の異常に気が付いた。
異常に曲がっている。とっさに手首の捻挫と思って、元に戻そうと再三試みる。どうしても戻らない。
あとから妻や登山者の人々が心配して寄ってきて救急手当をしてもらいました。
「あまり動かさない方がいいですよ」とある登山者にいわれて
まず患部を湿布してテーピングしてもらい手ぬぐいで腕を吊るすことができた。
全部手当をしてもらった。
やはり登山のメッカの地域だけあって、救急の備品を必需品として携帯していることに、山に精通しているなと感動した。
わたしはまだまだあまい登山をしていると・・・・・
そこで歩く気力を失って、痛みに耐えて座っていると、山小屋で一緒に泊まった夫婦の登山者の方がその時下山してこられ、
この光景を見て、「もうすぐ剱山の診療所の先生が下山してこられますよ!」教えてくださいました。
やっと先生が下山してこられ診察してもらった結果「この患部は脱臼はなく、骨折ですよ。レントゲンをとってみてください。」
診察して下山されました。その後一人の看護師さんがひきかえしてくださり三角巾で腕を固定して歩きやすくしてくださいました。
岡山からこの地にきて、見ず知らずのわたしに白山でこんなに皆様に助けていただきましたことを感謝しております。
ありがとうございました。このあと話がまだまだ続く。
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白山 骨折れる 治療 30 2015.10.04
10月4日事故日救急、骨折確認応急処置
5日福井県立病院治療相談
6日済生会手術日決める
9日手術
14日リハビリ開始 期間3ヵ月
不慮の事故の対処である。
生きて生活している間だには事件・事故に遭遇する。
事故中自分に冷静になれ冷静になれといいきかした。
だけど事故当初はそれどころではない。
頭のなかは真っ白・・俺はどうなったんだ?[?]手首がグンニャリ曲がっている。
オモチャの部品を修理するみたいに、元の手首のように戻してみる。
元に戻らない。あれあれ…全ての思考回路をめぐらして治そうする。
この事は夢であってほしいと眠りに就く毎日。
転けた時右頬を岩でぶっけていた。右頬が痛い[?][?]わたしはどのように転がったか想像した。
いままで下山中に滑って転んだことは何度もある。
先月も星山で下山中に二度転んだがリアルにその動作は覚えている。
お尻からうって転んでいる。
今回はあっと間に右顔面セイドして右手撓骨骨折,右腰打撲
この早い転倒はどうしてだろうか?
わたしの推測であるがある考えが浮かんだ。
下山中追い越され際に ザックどうしがぶっかってわたしのザックの左側と追い越し
下山者のザック右側と接触して、その弾みで一瞬で転倒してしまったのではないかと推測した。
狭い登山道は下山の時追い越し禁止である。
事故があって気が付くことが多い。
右手撓骨骨折がわたしの首の骨を守ってくれたと思う。
もしこの骨折が無かったら首の骨を折ってこの世に今は居ないかもしれない。
わたしは生かされたと永平寺で思った。
わたしの手はあれ・・この写真に似ている。
すてる神あり、拾う神あり
登山は賢者のスポーツ 26
自分の足で登った人のみが
登山は自分の足で登った人のみがご褒美がいっぱいただける。
山登りはご褒美がいっぱいいただけるところだ。
雨や霧の中で登るときがある。
高い山ほど景色が変わる。
晴天があっという間に変わる。
舞台の幕が開くように、霧が晴れ、
神々しい山岳の姿を遭遇するする事がある。
風をともなった景色、風をともなったこころの営み。
風をともなった友とのなにげない会話、
風をともなった友と野立てのコーヒーの香り
風をともなった頂上に立つと、
自分の足で登った人のみが
風をともなった感動の景色に出会える。
白山下山