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猫との出会い
いったい、いつから?
関が原・・までは、地方(いわゆる国)の名前ではなく収めている家名で、毛利藩という言い方が一般的だったように思います。
関が原以後の国替えで、毛利はそれまでの広大な領地を没収され、長門・防府の2国になり・・・いわるる萩藩という言い方が一般的だったかも?
萩藩=毛利藩・・・これは正しいでしょう。
しかし、幕末ころになると・・・いつのまにか長州藩というように変わってしまいます。
でも、長州藩というのが本当に正しいのか、いったいどこのことをさしているのか、はっきり説明できる人はいないようです。
萩藩=毛利藩=長州藩・・・これは正しいとはいえないでしょう。毛利藩≠長州藩 萩藩<毛利藩<長州藩・・・のような感じでしょうか?
長州というと、それは雲州、遠州、薩州・・などとまた地方(国)のような感じか・・・?
岩国藩(吉川家)に対しては、幕末までは独立した藩とは毛利は認めていなかったようです・・・支藩扱い。
戊辰戦争は、長州など外様藩にとっては、関が原の恨みをはらす・・・戦いだったのかもしれません。
いかに、徳川家康の力が強くでも、遠くの毛利や島津を滅ぼすことは無理だったんでしょう。
豊臣・加藤・福島・・・さんなどは因縁をつけられ・・・滅ぼされ・あるいは皆殺しになってしまったんですが。
会津では、戊辰戦争のとき、官軍を西軍といっていたらしいです。