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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

追伸、エリートの皆さんへ

 振り返れば、29歳の頃テレビ局に開局入社した時からエリート集団と出会っていた。最初の大カルチャーショックだった。私は大分別府の温泉旅館の手伝いをしながら、何とかCMや映画を作る仕事はしていたものの、大学を出て、プータロウ状態で過ごしたようなもので、別府に行くまではインスタントカメラさえ撮ったことが無かったし、テレビの無い生活をしていた。当時の別府の仕事だって月給は大きな声で言えないぐらいだった。ところがテレビ局に入って、いきなりもらえる給料の多さにびっくりした。この程度の仕事でこんなにもらえるなら別府の仕事は3倍もらってもよい。と感じた。しかし、私の背後では大学を出たばかりの学生(の延長のような人たち)が、給料は安い、だの日本で一番待遇が悪い、などと大きな声で話していた。正直言ってびっくりした!こんな連中と今から仕事をするんだなと思うとぞっとした。
 私は別に普通のサラリーマンになれないようなことをしでかしたとか、相当なハズレモノだったわけではないが、(実際何件か普通の?企業には受かった)魅力の無い企業エスカレーターに乗っかるのはやめにした。結果プータロウだった。そんな私が酒の縁でテレビ局に入ってしまったのは、きっと神様のいたずらだったと思う。最初から合わなかったが、3年間お世話になった別府の社長のご好意もあって入ることになった。が、嫌だった。
 入ってからエリート諸氏との付き合いにヘトヘトだった。田舎周りの取材が気に入ったのはそんなこともあったと思う。県庁の記者クラブより、田舎回り。そして98市町村を5年半かけて2周半した。同時にひとつ前に書いた日テレの3羽ガラスや大プロデューサー、大ディレクターにも気に入られ、よく日テレの仕事をした。
 さて、ここで言いたいのはこうだ。日テレの大プロデューサーから田舎の猟師さんまでととことん付き合ってきたということ。決して背伸びもせず、へりくだりもしないで対等の土俵で一人の人間として。番組の種類やテレビ局の仕事のすべてをやってきたというのは、これは全部住民の地域活動に大いに役立つとわかったからだ。バラエティー、ドラマ、ニュース、お笑い・・・の手法を全部市町村の地域振興にそのまま活用できるとわかったからだ。だから住民ディレクターの奥は深いし、間口は広い。まだ使えてない、自分としてはこの恐らく稀な経験をしてきた自分の得意技を限界集落を支えたり、過疎の振興に寄与することに全面的に投入したいと思っている。
 森繁久弥さんが色紙に書く言葉がある。「一人ではなにもできない、だが一人からしか何も始まらない」東京の帝国ホテルで15分の約束が2時間近く時間をいただいたことがある。2時間笑いっぱなしだったが、ジーンとくるメッセージが詰まっていた。これも地域振興を考える上で貴重な経験だった。ユーモアやセンスが必要なのだ。テレビの大本に関わる人たちにはきっとこの辺のセンスを学んだのだと感じる。 
(写真は室谷さん撮影:珍しい写真をいただきました、ありがとうございました。)

 

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