
午後4時頃から自治会長さんと集落を歩きまわり、2時間ほどお話をうかがいました。庵集落というここは宮本武蔵が青年期、沢庵和尚や剣術の師匠に鍛えられた場所で、近くには修験道の修行の山もあります。また、武蔵最初の決闘の地も実はこの佐用町内にあるのです。ちなみに集落名の庵は「いおり」=伊織にも通じると思うのですが、武蔵の最強時代に養子となった青年でした。この伊織も加古川の米田出身という説が間違いなさそうです。
私は宮本武蔵とは縁が深いので、非常に興味深い集落でした。吉川英治の小説によって岡山出身といわれてきた武蔵は実は加古川に近い高砂市が生誕地と現代では有力になっています。そしてこの佐用町周辺で鍛え、佐々木小次郎と山口(山口大学に行きました)の巌流島で決闘し、晩年は熊本の細川藩に召抱えられ、霊厳洞という祠で五輪書を書きます。霊厳洞はテレビ局時代企画を考えるときによく訪ねた場所です。
と、いうわけで武蔵が生まれ、剣術を磨き道を究め、熊本で晩年を過ごすというプロセスは私の人生とかなりオーバーラップしています。若い頃はたけぞうと呼ばれていたようですが、沢庵和尚に杉の大木(杉だったと思うのですが)に吊り上げられ乱暴な行状を戒められた小説の光景が浮かびます。というのも地元若手のリーダー千種さんがまさに若き日のたけぞうのような骨太で逞しい人物で映画にすれば主役を張れそうな風貌です。
その彼が、この日夕方地元の人たちと実に仲睦まじく語り合い、楽しい会話を続
けていました。そして、夜そのまま番組になって行く。こういう集落テレビがここ佐用町から次々と生まれ、武蔵が剣術を磨いていったかのように、そのノウハウを磨いています。お通さんもいて、集落テレビ終了後は心優しいお通さんも交じってみんなで交流会です。
せちがらい日本の現代社会の中にこういう光景が日常的に生まれ、テレビによって町民の知るところとなる。テレビのとてもいい使い方が生まれてきています。
(写真:右手前が千種さん 左奥にまちづくり課久保さん)
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- 官兵衛で國創り(14)
- 「軍師官兵衛」で國創り(28)
- 朝倉だんだん協議会(5)
- 山武住民ディレクター(2)
- 山武住民ディレクター(0)
- 愛南町リポーターズ(3)
- あぐっと!村(16)
- 東日本のいま(38)
- 八百万人(46)
- 住民ディレクター(91)
- 東日本巨大地震(39)
- ねんぷにやっぺし(1)
- NHK(3)
- 「花燃ゆ」追走番組(16)
- 地方創生(14)
- 真田丸追走番組(1)
- 知山知水(2)
- 住民ディレクター物語(0)
- 住民ディレクター物語(2)
- ドラマ爆発!!(7)
- 生きる(2)
- 被災3年これから(1)
- 被災3年(5)
- あれから25年(2)
- テレビ70歳(4)
- ふらっと九州☆東峰村(4)
- テレビ書紀(10)
- とうほうTV(460)
- 東峰村物語(5)
- 東峰村生活(17)
- 佐用町・水害乗り越え(12)
- プリズムの仕事(57)
- NPOくまもと未来(29)
- 岸本 晃の風呂敷(96)
- 全国の住民ディレクター(33)
- プロフィール(28)
- 人吉球磨(3)
- 実戦。起業家養成(1)
- 杉並・J:COM番組制作(3)
- Weblog(493)
- 地方の時代映像祭(10)
バックナンバー
2022年
2021年
人気記事