見出し画像

岸本晃の住民プロデューサーNEWS

武蔵がキャスター?!、集落テレビの光景(兵庫・佐用町)

 佐用町の集落テレビの光景です。一昨日、午後から庵集落に地元の若手リーダー千種さん、町役場まちづくり課久保さん、同じく原井さんと4人で入りました。その日の夜7時半からいきなりの15分1本勝負!?の生収録番組を控えています。勿論、全員がこの日初めて集落に伺い、事前の準備もほどほどに15分番組を地区の皆さんと創るのです。

 午後4時頃から自治会長さんと集落を歩きまわり、2時間ほどお話をうかがいました。庵集落というここは宮本武蔵が青年期、沢庵和尚や剣術の師匠に鍛えられた場所で、近くには修験道の修行の山もあります。また、武蔵最初の決闘の地も実はこの佐用町内にあるのです。ちなみに集落名の庵は「いおり」=伊織にも通じると思うのですが、武蔵の最強時代に養子となった青年でした。この伊織も加古川の米田出身という説が間違いなさそうです。

 私は宮本武蔵とは縁が深いので、非常に興味深い集落でした。吉川英治の小説によって岡山出身といわれてきた武蔵は実は加古川に近い高砂市が生誕地と現代では有力になっています。そしてこの佐用町周辺で鍛え、佐々木小次郎と山口(山口大学に行きました)の巌流島で決闘し、晩年は熊本の細川藩に召抱えられ、霊厳洞という祠で五輪書を書きます。霊厳洞はテレビ局時代企画を考えるときによく訪ねた場所です。

 と、いうわけで武蔵が生まれ、剣術を磨き道を究め、熊本で晩年を過ごすというプロセスは私の人生とかなりオーバーラップしています。若い頃はたけぞうと呼ばれていたようですが、沢庵和尚に杉の大木(杉だったと思うのですが)に吊り上げられ乱暴な行状を戒められた小説の光景が浮かびます。というのも地元若手のリーダー千種さんがまさに若き日のたけぞうのような骨太で逞しい人物で映画にすれば主役を張れそうな風貌です。

 その彼が、この日夕方地元の人たちと実に仲睦まじく語り合い、楽しい会話を続
けていました。そして、夜そのまま番組になって行く。こういう集落テレビがここ佐用町から次々と生まれ、武蔵が剣術を磨いていったかのように、そのノウハウを磨いています。お通さんもいて、集落テレビ終了後は心優しいお通さんも交じってみんなで交流会です。

 せちがらい日本の現代社会の中にこういう光景が日常的に生まれ、テレビによって町民の知るところとなる。テレビのとてもいい使い方が生まれてきています。
(写真:右手前が千種さん 左奥にまちづくり課久保さん)

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事