「軍師官兵衛」の追走番組「官兵衛で國創り」も次週で29回になります。本編の「軍師官兵衛」は時代考証が甘いとか、3英傑の役者の年齢が違いすぎるとか色々と言われてますが、ドラマは本来フィクションなのでわたしは全然気にしていません。天下のNHKの大河ドラマなら史実に基づいて、と一般的に言われるのはしょうがないとしても、元々ドラマは小説と一緒で現実の出来事に意匠をかぶせてフィクションにし、最も伝えたいことを表現する手法とわたしは認識してます。
かつて住民制作ドラマを5本作りましたが、わたしの場合は「事実を積み重ねて真実を語っている」とおもわれているドキュメンタリーでは真実は到底描ききれないとあきらめた後に向かったのがドラマでした。そしてむしろ虚構で成立するドラマこそ真実を語るに相応しいと制作をはじめました。
「軍師官兵衛」はそういう意味で調略とか策略が軍師とおもわれていたかつてのイメージを払拭し、官兵衛の人間性復権ドラマになってると感じます。戦国時代の毎日「死」を意識する時代の人生に「我人に媚びず、富貴を望まず」を言い切った官兵衛の宇宙的スケールをこれまでの読み物や歴史は矮小化してきたと感じます。信長しかり、です。
地球儀を見ながら「わしの真意をわかるのは秀吉と官兵衛二人」とセリフでは信長に言わせましたが、あれはわたしには「わかるのは官兵衛だけじゃのう」に聞こえました。秀吉は信長の最大の理解者ではありましたが、「信長の存在」がビジョンそのものだったので秀吉自身にはビジョンはなかったと推察しています。中国大返しの秀吉、官兵衛の思慮と行動が自然と語っています。それもその時の事実はわかりませんが後々の秀吉の狂いが生じることは歴史の事実としてあります。一方で官兵衛の辞世の句です。
「おもひおく 言の葉なくて つひにゆく みちはまよわじ なるにまかせて」
そしていつしか官兵衛が悪者になっていくのです。調略、策略の負のイメージが誇張されます。こういうことも多くの歴史が繰り返しています。栗山大膳の「黒田騒動」しかりです。その父で官兵衛の筆頭家老 栗山善助は濱田岳さんが好演しています。先日福岡市内で善助のご子孫にお会いして善助のDNAを感じました。おおらかで他者を大事にするやさしい方です。
平成5年にクマソ復権ドラマを創りました。野蛮でまつろわぬ者として大和朝廷に征伐されたと書かれた歴史書を疑った地元住民自身の行動からドラマがはじまりました。今回は追走番組ですが、結果的には官兵衛復権、栗山善助、大膳復権になってる感じです。そういう意味では歴史上の多くの人達の本当の姿を学ぶにはやはり大河ドラマは素晴らしい機会です。自分たちで調べる、描く、放送する、反応を聞く、・・・、これらのプロセスが地域のアイデンティティを再構築する企画力に確実につながっていきます。来年の大河ドラマ「花燃ゆ」は「松蔭の妹」を通して幕末、明治維新の庶民の見直しにつながると期待しています。
「官兵衛で國創り」はとうほうTVホームページから