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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

「軍師」ではなかった官兵衛。

 戦が迫ると一人一人の姿勢が明確になります。それはそうです、明日死ぬかもしれない。そうなると人は普段のように?誤魔化しは効かず、自分自身の生き方がそのまま出てしまいます。

 岡田准一くんの「軍師官兵衛」は若い頃から一貫してました。「戦のない世をつくる。」その目的の実現のために自分がついていくべき人がいたら迷わずついていく。自分がやれることをとことんやりきる。そしてその最初は秀吉を経由した「信長」でした。

 信長が光秀にやられた時には悩み悩んだあげく「秀吉」との答えが出ました。それが秀吉に中国大返しで「今こそ天下取りのチャンスです」と言わしめたはずです。さらに秀吉が死に家康か三成か?というときに「如水」となっていた官兵衛は相当考え尽くしたとおもいます。答えはすぐに「家康」と出たはずです。

 だからこそ長政が家康の先鋒で活躍するのも納得していたのです。が、家康が天下を取った時に日本の未来はどうなる?と考えると一抹の不安が走ります。その結果がキリスト教禁止令につながります。鎖国です。その頃すでに官兵衛は亡くなっていますが、常にずっと先の未来を見ていました。官兵衛は信長の「世界への雄飛」と「戦のない世」がセットであることを望んでいたとおもいます。すると三成では全く話にならないが家康でもあまり良い結果ではない。ではどうするか?

 ドラマでは如水自身が天下を取りに行く話になりますが、これも実は違うだろうとおもいます。次のトップを構想していたのだろうというのが岸本説です。それまではもしかしたら自分がつなぐしかないかもしれないとは考えたかもしれません。だって如水には我(が)がないんですから。水の如しです。

 で、その59歳になった頃に自分だけがのんびり暮らすということではなくて「次は誰?」と最後まで考え尽くしたとおもいます。辞世の句をまた紹介しますが、官兵衛は「軍師」ではなく「経世家」でもなく、官兵衛自身になろうとしていた戦国時代ではまさに稀有な人物だったと感じます。


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