戦国時代とはとても比較なんぞできませんが、大義は何か?は少なくとも現代の生活にも共通するはずです。
いろいろな仕事が締め切りを控えて日々慌ただしく過ぎ去っていきます。しかしこれから大事なこと、次につながることはどんなに忙しくてもどんなに大変でも軽く流せない人たちが必ずどこにでも何人かはいます。そういう人たちは周りがどう言おうが、情勢がどうであろうが関係なくやっていきます、しかし、戦国の世はそうもいきません。生命がかかってきます。
で、キリシタンのテーマの時に高山右近は一人決然とマニラに飛ばされます。官兵衛は自分にはできないと悟り、表面上は棄教しますが心の中ではキリシタンを貫きました。どちらが良い悪いとの議論はさておいて、官兵衛の生き方は常に自分と家族、家臣、領民の生命を守ることにあります。そしてそれは敵方にもそっくりそのまま同じ考えが及びます。
「騙し騙され」が当たり前の戦国のあの時代に敵味方なく、とにかく一人でも助けられるなら助ける方法を模索し続けます。現代なら少なくとも一人一人がバラバラな都会ではなく、どんどん人口が減り「地方創生」が心底喫緊の課題である過疎市町村、少子高齢化が良いのか悪いのかは別にして、「地域ごと」無くなる恐れがあると脅されている小さな自治体の危機感とつながるものでしょう。しかし実際は、都会でも田舎でも関係なく当然やる人はやるのですが・・・。官兵衛は常に世界を、未来をしっかりと捉えていたと感じます。
「何とかせんばいけん」という言葉は一時だけのスローガンや自分の仕事を守るためだけの表面的な、薄っぺらな、半端な気持ちでは言ってはいけない言葉です。「言うことはやる」。実践し続ける。官兵衛は人生をやりきって安らかに寿命を迎えます。