本田節さんとはもう20数年前からのご縁ですが、とうほうTVの基礎は全て節さんらと人吉球磨地域で創ったといっても過言ではありません。
節さんはカメラをもたない「住民ディレクター」の初期モデルでもあります。37歳で乳がんを乗り越え未来に向かって生き始めた頃に出会いました。そして今日久しぶりに節節(せつ・ぶし)をじっくりと聞きました。益々盛んな語りでした。徹底的な実践家です。何度もわたしの名前を出してくれましたがツーリズムをしっかりと人吉、熊本、九州、全国へと形づくってきたプロセスを思い出します。
数々の困難、艱難を乗り越えていつも逃げずに乗り越えて来ました。まさに退却をしらない女志士です。西郷南洲です。短い時間でもあっというまに話しが通じる同志に会って来ました。