河童やオシラサマ、山の神など古くから伝わる伝承や民話を集めた民俗学の始まりと言われる「遠野物語」。今回の東日本では今後の東日本支援策の打ち合わせもあって遠野市内を久しぶりに回りました。
以前は駅周辺しか歩きませんでしたが今回は遠野物語の主な舞台となった土淵あたりにも行きました。そこで発見したのが佐々木喜善という無名の作家であり語り部でした。作家を目指し若い頃に東京にも出ていた地元の名士で、柳田國男に遠野物語を語ったのはこの佐々木喜善でした。
柳田國男はその遠野の話しに大変興味を持ちすぐに遠野物語を書きはじめました。当時まだ25歳の佐々木喜善が柳田のまさに語り部だったのです。またその頃に柳田國男は人吉から宮崎に向かう県境にある平家の落人伝説がある椎葉村に深い関心をもっていました。が、佐々木喜善の話しがとても印象深かったらしく先に「遠野物語」を書きはじめたようです。
もしかして佐々木喜善と柳田國男が会ってなかったら椎葉村こそが「椎葉物語」となって世に出ていたのかもしれません。・・などなど、色々な発見はありましたが実は現代の、今の遠野物語を遠野市のみなさんが描いていくことがとても大事な時期に来ているのではないかと感じました。そのお手伝いをすることも東日本支援にそのままつながりそうです。