小石原焼の窯元はこうやって縄をなえる人も多いとおもいます。元々半農半陶で生まれ育った産業ですから自ら米を作り野菜を作り、農家の水瓶や大皿を作っては売歩かれていたんですね。農業から生まれる副産物である藁や野菜、花なども多様な使い方を産み出していったことが生活雑器という「用の美」を形づくっていったんでは?と私論で考えます。
住民ディレクターという発想は熊本県内98市町村を5年半かけて地域の一次産業に関わる方々と親しくなっていく中で自然と生まれた発想でした。地域に根ざしたこれらの暮らしを発信するには映像という道具が便利で生の声、現場の音を丸ごとお伝えできるわけです。民陶むら祭の5時間中継で小石原焼の現場を歩きその一つの完成型のような気がしました。
縄を綯っているのは高取焼きの八仙窯の八仙さんですが優雅な茶器の並ぶ茅葺きの建物の裏庭でこういう暮らしぶりが毎日あるのです。住民ディレクターは民俗学的な表現が根底にあるのはこういう暮らしぶりがあり特に古代から豊かな男女関係があり、それはジェンダーという外来語では見えない豊かな豊かな男と女の世界の表現に繋がっていると感じます。昨日あった岩屋神社のこも替えはまさにそういう暮らしの集約のような祭でした。