
川上音二郎は博多の生まれで、「能」でも「歌舞伎」でもない、西洋式の いわゆる「新劇」の祖とされてます。
まだ口語体で話し普段着まで衣装とする舞台は、まさに新鮮で一世を風靡したと聞きます。

音二郎は劇団立ち上げの前、最初に始めたのが「ヘラヘラ節」と言う落語の大喜利で大阪 桂一門始めた面白いことを歌う御囃子があったんですが それを改造し、
「オッペケペー節」と言うものを作り出し……そうですね今でいう「ラップ」かな、明治政府を徹底的に「ギャグ」で批判した「プロテストミュージック」を作り上げ、落語の口座や町の辻々で、歌い続けた。
明治政府の締め付けにウンザリしていた聴衆の間で、大人気だったそうです。
もちろん警察に目をつけられ、一説では逮捕歴180回だと言われてます。
自由民権運動の旗手。福沢諭吉の書生。玄洋社の立ち上げメンバー。桂文之助の一番弟子。
徹底的に「自由とは何か」を考え、最後は公演中の舞台の上で絶命した大俳優。
その愛すべき川上音二郎の生誕地、が博多区対馬小路(つましょうじ)にある ここです♬



今彼が生きてたら、どんな「オッペケペー」を歌ってくれるのでしょうか……
