前章で示唆したとおり、ここではまずババが一度シルディを去った後、どのようにして再び戻ってきたのかについて述べることにする。
アウランガバッド地区(ニザム州)のドゥープと呼ばれる村に、裕福なイスラム教徒の紳士、チャンド・パティルが住んでいた。彼がアウランガバッドに旅行をした際、彼の雌馬がいなくなってしまった。二ヶ月に亘り彼は入念に捜索をしたが、馬を見つけることはできなかった。失望した彼は背中に鞍を背負ってアウランガバッドから戻ってきた。4kos半ほど来た所で、彼はマンゴーの木の根元に座っているファーキルに出会った。
彼は頭に帽子を被り、カフニ(長いローブ)を着て、サトゥカ(短い棒)を脇に抱え、チルム(パイプ)に火をつけようとしていた。通りかかるチャンド・パティルを見たファーキルは彼を呼び、一服して休んでいかないかと声を掛けた。この気ちがい男、ファーキルは彼に鞍のことを尋ねた。チャンド・パティルは、これは彼の雌馬のもので、少し前にいなくなってしまったのだと話した。
ファーキルは近くのナラを探すように言った。彼が行ってみると、なんと驚いたことか!彼はそこに雌馬を見つけたのだ。彼はこのファーキルは普通の人間ではなく、アヴァリア(偉大な聖者)だと思った。彼は雌馬を連れてファーキルの元へ戻ってきた。チルムは吸う準備ができていたが、あと2つの物が足りなかった。
(1)パイプにつける火と(2)濡れたチャッピ(煙を通すのに使う布)であった。ファーキルは自分の棒を手にとって強く地面に押し付けると火が起こり、彼はパイプにその火をつけた。それから彼はサトゥカを地面に打ち付けると、そこから水が滲み出てきた。チャッピをこの水で湿らせ、絞ると、パイプを包んだ。このように全ては完璧にいって、ファーキルはチルムを吸い、チャンド・パティルにも分けてやった。一部始終を見ていたチャンド・パティルはびっくり仰天してしまった。
彼はファーキルに自宅へ来てもてなしを受けてくれるよう頼んだ。翌日、彼はパティルの家に行き、しばらくの間そこに滞在した。パティルはドゥープ村の役人だった。彼の妻の兄弟の息子が結婚することになっており、花嫁はシルディの出身であった。そこでパティルは結婚式のためにシルディへ出かける準備を始めた。ファーキルもまたこの結婚式の一団に同行した。結婚式は滞りなく終了し、一団はドゥープへ戻ってきたが、ファーキルだけはシルディに住み着き、そこに永遠に留まったのである。
サイババはさびれたマスジッド1に住み始めた。デヴィダスという聖者はババがやってくるより以前から長年に渡りシルディに住んでいた。ババは彼とつきあうのを好んだ。彼はこの聖者と共にチャヴァディにあるマルティ寺院に住み、しばらくは一人で暮らしたりもした。
それからジャンキダスという名の別の聖者がやってきた。ババはほとんどの時間を彼と話して過ごすか、ジャンキダスがババの住まいにやってきた。また一人のヴァイシャで世帯主の聖者ガンガギールが、プンタンベから頻繁にシルディにやってきていた。彼が最初にサイババを見たとき、ババは両手に水差しを持って、庭に水を撒いていた。
彼は驚き率直にこう述べた。「このような尊い宝石を得て、シルディは恵まれている。この男は今日も水を運んでいるが、彼は普通の人間ではない。この土地(シルディ)は幸運で価値があるから、このような宝石を得ることができたのだ」またイエワラ・マスの有名な聖者で、アッカルコット・マハラジの弟子であるアナンドナスが数人の人々とシルディにやってきてサイババを見ると、こう言った。「彼は普通の人間のように見えるが、”Gar”(普通の石)ではなく、ダイヤモンドだ。近い将来、皆がこのことを悟るだろう」こう言うと彼はイエワラに戻った。これらは、サイババが若者であった頃に言われたことである。
1. マスジッド:モスクのこと
シルディー、サイババの思想 2
シルディー、サイババは、自らをカビールの生まれ変わりと称したという。カビール(1440年~1518年、一説に1425年~1492年頃)は、神の前の平等という信念を貫き、ヒンドゥーとムスリンの両方の弟子を持ち、それぞれの言葉、それぞれの宗教用語を用いて教えを説いた人である。
シルディー、サイババの場合も、まさしくそうであった。カビールは、神は様々な名で呼ばれようとも唯一つであり、心の中にのみ存在すると説いたが、シルディー、サイババは、こうしたカビール的理念の忠実な実践者だったと言える。サイババの思想の詳しいところは何もわからない。
書物を残していないからだ。伝説などから判断する限り、諸説融合的で一元論的な考えの持ち主だったことは確かであろう。シルディー、サイババはモスクを住処とした。神を呼ぶのにイスラムの言葉を用い、唱えるマントラもイスラムのものだった。
しかし、ムスリンに課せられた日々の祈りを実践することは、めったになかった。彼は厳しい菜食主義者で、ヒンドゥ教徒からは、ヒンドゥーの聖者として尊敬を集めた。二つの宗教・・・・・ヒンドゥー教とイスラーム教が一つになることを、彼は望まなかった。そのかわり、善意、寛容、融和を熱心に説き、各自が生まれ育った宗教的環境の中で努め励む事を説いた。
互いの祝典、祭日を祝い、喜びを分かち合う事を人々に求めた。二つの宗教はともに正しいとし、一方から一方への改宗お良しとしなかった。
シルディー、サイババが前半生を送った頃は、ヒンドゥーナショナリズムが高まりを見せ、ヒンドゥー教とイスラム教徒とのコミュナルな対立が顕在化してくる時期に当たっている。一方、インド帝国が成立し、イギリスのインド支配が着々と強化されつつある時代でもあった。
あおうした時代の潮流に対する反作用からか、著名な思想家・宗教家たちの仲には、「一つの神、一つの宗教」を唱え、万教帰一の理想を強調する者も数多く現れた、カースト制の弊害を憂え、万人の平等を訴える思想がもてはやされた。
インド人たちは、イギリスの植民地支配に抵抗し、一意団結して共通の敵に立ち向かう必要に迫られていたのである。ヒンドゥーとイスラムの融和を唱えるシルディーサイババの思想と行動は、まさしく時代の要請にも応えるものだったと言う事が出来る。
今から、一世紀半ほど前の1854年頃、マハーラーシュトラ州のシルディーという村に、白い衣に身を包み、ファーキル(イスラム神秘主義の行者)のような風体をした若者が現れた、背が高く、やせてはいたが、どことなく力にみなぎったところがある。何処から来たか誰にもわからない。
彼は一旦他所を彷徨った後、1858年に再びシルディー村に戻り、以来死ぬまで、そこを離れることがなかった。はじめの内、日中はニームの木陰にいて、夜間は地面に付して眠る生活が続く。村の人々が恵んでくれるわずかな食べ物によって暮らしていた。
村に定着するに及び、ヒンドゥー寺院を住処にするようになる。しかし、程なく、外見からムスリンと見なされてしまい、寺院から追い出されてしまう。それ以後、小さな土壁のムスクが彼の住居となる。その後も、村の住民からは無視されたり、奇人扱いされ続けた。
彼は、ほんの時折、ムスリンの祈りの言葉を唱えることがあった。しかし、奇妙なことに、モスクの中にせいか聖火を絶やさないのだ。まるで、バラモン(司祭階級)かパールシー(拝火きょうとでもあるかのように。ある日、灯明に使う油をもらおうと、村に物乞いに出かけた。しかし、人々は意地悪をして、彼に油を施すのを拒否する。
モスクに戻った彼は、油の代わりに水を満たし、聖火を灯し続けたという。この奇跡を目の当たりにした村人達が、彼をシルディー村の聖者として崇め、名声は徐々に広がっていく。
このシルディー、サイババ(1838年~1918年)の生い立ちについては、不明なことが多い。伝説によれば、彼はハイダラーバード藩王国の中流のバラモンの家に生まれ、幼年で父を失ったろされる。八歳の時、ムスリンのファーキルに従って家を出たが、まもなくファーキルにも先立たれ、やがてヴェーンクーサーという名のヒンドゥーのグルに師事するようになる。
この師から大きな精神的感化を受けたようだ。彼の名声は、1900年頃から大いに高まり、1918年に世を去った後も、彼への信仰は衰えを見せていない。祭壇などに、シルディー、サイババの肖像を掲げている家は、今でも多い。
彼は、書物を著すことがなかった。本を読むこともしなかった。それだけではなく、書物から知識を得ることを人々に求めなかったという。「書物の中に真実はない。体系的な知識を身につけても、真理は把握されない」・・・・これが、彼の信念だった。
彼は、風変わりな行動で知られ、また人々に惜しげもなく奇跡を見せ付けた。人々が彼に魅せられ、ご利益を願ったのも、常軌を逸した、こうした奇行や奇跡が大きく関係している。稀有な人格のもつ勧化力と霊能が、彼の名声うぃインド中に浸透させていった。
彼は、容赦なく信者を罵り叱りつけ、時には、杖で叩いたり、石を投げつけることすらあったという。彼は、遠慮なく信者達から金銭を要求した。そいして、得たお金を惜しみなく貧者に施した。
彼の霊能はとりわけ「癒し」に発揮された。始めの内、その都度霊能ある薬草などを信者に与えていたが、ある時から、聖火の灰を配るようになった。彼にとって、病気治しをするのに、そもそも「物質」は不要だったが、サイババの元を訪れることの出来ない、遠方の信者たちが、聖火(=物質)を有り難かったからである。遠くからサイババを祈るだけで、治癒した患者も多かったという。
サイババは説いた。・・・・・「私はシルディーの土地やこの身体に限定されない。私は偏在する。あなたが思えば、私はそこにいる」と。
病気の快癒の他、子宝、勝訴、縁結び、学業の成就(じょうじゅ)などを願って、人々はサイババの恵みにすがった。彼は、現世的な効験を求める人々から絶大なる信仰を集めた。
※1854年から1858年の4年間の空白期間がヒマラヤで修行していたと思われます。(須藤)
1、 原則の話(病気の原因四つの世界にある)
治らない病気という病気はあるものでない。どんな病気でも治す治療力が体内から出てくるものである。病気の原因は四つの世界にある。原因が消えて病気は治るものである。
医学では病気の原因を内因、外因の二つに大別しているが、詳細に考察してみると、内因のない外因のない外因というものはあるものではない。そうしてみると、病気というものは自分が生産するのである。
病気の生産工場は潜在意識の中にあるのである。潜在意識とは、肉体と連絡するものであるが、肉体は感覚的に潜在意識がどんなものか感知しない。
細菌というものは肉体の外部に在るものだが、肉体に近づくと弱って、体内に繁殖する機能を弱める。その細菌を体内に迎えて繁殖させる者は、自分の潜在意識である。
「人間の思想行動というもの(換言すれば意識活動というもの)は、無意識的に即ち潜在意識に条件づけられている」とは、今日の進歩した新心理学上の原則である。
意識的活動ばかしでない。われわれに苦痛や死をもたらす病気というものも、潜在意識に条件づけられているのである。
ある病気は遺伝だといわれる。しかし遺伝なるものも打ち消してしまう力が、われわれの体内には潜んでいる。遺伝学者は、細胞核に遺伝の素因があるというが、細胞核というものに革命を来らす力の秘密が人間には潜んでいるのである。
脳髄の中心なる松果腺が、発光発電作用をおこすと、その力は脳細胞核に衝撃を与える。そのため脳細胞核は巨大な力に目覚めて収縮し、分子を引き寄せて、新たな脳細胞を無数に作り出し、頭脳の活動を目覚めさせるのである。
その力は、長短一切の神経を伝って、内分泌腺に伝達され、内分泌腺の活動を目覚めさせて、あらゆる疾病を駆除し、ひいて全身細胞にその力が波及し、細胞全体を磁化して、その配列を正してしまう。この肉体革命で遺伝素因も一切の病原も消えてなくなってしますのである。
さて、前に戻って、病気の潜在意識的条件ということを簡単に理解してみなければならない。
潜在意識は、体内から時空的に対外に広がっていく奇態なものである。体内にある潜在意識は大別して三つに考えてみる事ができる。体内にあるから、潜在意識体と言って良かろうが、一をアストラル体といい、二をメンタル体という。もう一つは体といってよいか、光というべきものであるか、不可思議千万なもので、心臓の内奥(右の上)にかくれている。
この第四の体又は光というのは、原子のように小さいが、展開すると肉体全体を支配するばかしでなく、地球よりも大きく、大空よりも大きく、物質宇宙よりも大きく意識活動を拡大し、支配力を揮うものだと、偉大な文献チャンドギャー、ウパニシャドに記してある。
この本は遠い昔、大医聖によって書かれた聖典である。これを大霊原子と言って、これこそが真の自我であると古の聖者たちは教えた。これは病気にはならないで、病気に超越する絶対者である。病気の原因をつくるのは、アストラ体、メンタル体であって、肉体はこの二体の外層をなす有機的物質である。
さて、アストラル体とメンタル体を肉体につなぐ中間体のエーテル体なるものがあって、アストラル、メンタル体に病理があると、エーテル体に流れている宇宙エネルギーの四次元通路に、よどみや破れが出来る。それが肉体に現れて病気になるのである。
以上二体とも四次元世界の存在で、三次元的理論では理解ができないから、これを潜在意識という。
鍼灸は、エーテル体の中のエネルギーの流動停滞に刺激を与えて病理を治す東洋医聖の発見であるが、アストラル体、メンタル体には感応がない。
アストラル体、メンタル体といえば、話がむづかしくなるが、分かりやすく言うと、情緒と理性の働きをするものである。だから病気の原因というんものは、調和秩序を失った情緒、理性の中にあるということになる。但し、アストラル体には心霊性質(サイキック)があって病理を造る。
アストラル体も、メンタル体も調和がとれて正しく美しいものになると、肉体から離れて、空間をかけり、情緒的又は意識的にすばらしいものを見、又は学ぶことが出来るもので、それが出来ると、大学の学問なんかというものは、何を学ぼうと、幼稚園に等しい程度のものになる。
高い所から落ちて大怪我をしたとか、汽車が衝突して即死したとかいう出来事は、外因による不幸だと常識判断に終わるが、もっと深く考えて見ると、潜在的なメンタル体、アストラル体に内因がある。
その説明にラーマクリシュナの言葉を引用してみよう。・・・・・・「汽船の一乗客が三昧に入っていると、激浪怒涛もその船を転覆させることが出来ず、敵の砲弾もその船には命中しない。」三昧に入っていれば、肉体もアストラル体もメンタル体も叶わぬ支配力を現すからである。支配主は誰かというと、真の自己自身、即ち光のような自己である。魂である。
繰り返していうが、病気というものは、潜在意識的不調和が無秩序に原因していることをよく心得て欲しい。
次にもう一つ考えるべきことがある。それは人間磁性の不均衡は病気とその苦痛になるという事である。生物は何でも磁性をもっている。一個のリンゴをガルバーニー器で試してみると、確かに陰陽を帯びている事が分かるから、磁性があるという事になる。人体も心もそうである。人体の磁性には12種類ある。
十二種類の人体磁性は食物元素22種類の中から、磁力の陰陽となるものを選り分ける。
陰陽が調和しておれば健康であるが、陰の原素はすぐ消化吸収されて多すぎるから、誰でも自分に適した陽原素を含む食物をより多く摂らなくてはならない。病気の苦痛というものは、身体磁性の不平均を知らせる自然の警告である。
以上の外に病気の原因があるとすれば、それは空気、日光、水、肉体の運動、睡眠、食べ物等が健康条件に叛いている場合である。病気が何であっても、結局全て共通的な第一原因は、心が否定的になることである。
否定的というのは、消極、反逆、不調和、破壊の陰性である。心配すること、失望すること、敵視すること、恐れること、恨む事がネガティヴの主要要素である。こういう気持ちになると、理性も感情も引きずられて否定的になる。すると、細胞核は、ゆるみ、内分泌腺は適切に各種ホルモンも分泌しなくなり、ために体内毒素が消えず、血液が酸化する。こうなると肉体は、磁性の平均を失って様々な病気の製造工場になる。
「過ぎし日の 憂い悩みを 払い去り
心安らけき 今ぞ神なる」
「神は永遠の今」である。永遠の宇宙大法則は、平静調和の心定まった、今現れて、われらの渦も病気も根こそぎにするものである。昨日のことも。明日のことも心配はない。今心配、恨み、怒り、失望を捨ててしまって、心なごみ、自ら足るを知れば、万能のお力は我が内に光明の健全なお働きを起こして下さる。結局、一切の病気を治す力は、我が内から現れるのである。