癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

シルディ・サイババ(医師)

2011-09-30 | シルディ・サイババ

ある時、マムラトダール1が友人の医師と共にシルディにやってきた。医師は自分の神はラーマであり、イスラム教徒の前には頭を下げないと言い、シルディには行きたがらなかった。マムラトダールは、誰も頭を下げることを強制したりはしないと答えた。それで彼は喜んで一緒に行くことにした。

 

 

やがて彼らがシルディに到着し、ババのダルシャンを受けにマスジッドへ行った。皆が驚いたことに、医師は進み出てババに敬礼をしたのである。彼らは、なぜ自分の決意を忘れてイスラム教徒に頭を下げたのかと彼に尋ねた。すると彼は、椅子に自分の愛する神ラーマが座っているのを見たので、彼の前にひれ伏したのだと答えた。そして彼がこう話していると、そこには再びサイババの姿があった。彼はうろたえて言った。「これは夢か?なぜ主がイスラム教徒になれるのだ?主は偉大なヨガサンパナ(最高のヨガ)・アヴァターなのに」

 

翌日、彼は誓いを立てて断食を始めた。彼はマスジッドへは行かず、ババが彼を祝福してくれるまではそこに行かないと誓った。3日が過ぎて4日目に、カンデシュから来た彼の親しい友人が現れた。友人と共に彼はババのダルシャンを受けにマスジッドへ行った。敬礼をすると、ババはここへ来るようにと誰かが呼びに行かなかったかと尋ねた。この極めて重要な質問を聞いたとき、医師は心を動かされた。その夜彼は夢の中でババに祝福され、最高の至福を体験した。それから彼は自分の町へ帰ったが、2週間の間同じ状態でいた。そして彼のサイババへの信仰心は益々高まったのだった。

 

ここに述べた物語、特にミュル・シャストリの話の教訓は、私たちは他の誰でもなく自分のグルに強い信仰心を持つべきだということだ。

 

さらなるババのリーラについては次章で述べることにする。

 

1.      マムラトダール:税務局の役人

 

スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように

 


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シルディ・サイババ(ナシクのミュル・シャストリ)

2011-09-30 | シルディ・サイババ

ナシクの正統派アグニホトリ(神に選ばれた)・ブラーミンのミュル・シャストリは、6つの学問を学び、占星術と手相学に精通していたが、ある時ナグプールの有名な億万長者バプサヘブ・バティ氏に会いにシルディにやってきた。彼に会った後、皆でババに会いにマスジッドへ行った。

 

 

ババは自分のお金で行商人から様々な果物やその他の物を買って、そのときマスジッドにいる者たちに配っていた。ババはいつもとてもうまい具合に全方向からマンゴーを押し出し、口に吸い込むと、果肉が一度にババの口に入り、種だけを捨てることができるのだった。ババはプランタンの皮をむき、皮を手に残して、果肉を帰依者たちに分けた。ミュル・シャストリは手相見として、ババの手を診たいと思ったので、彼に手を出してくれるよう頼んだ。

 

 

ババは彼の言葉を無視して、4つのプランタンを彼に渡した。それから全員がワダへ戻り、ミュル・シャストリは沐浴をして、服を着替え、アグニホトラの日課の勤めを始めた。そしてババはいつものようにレンディに向かいながら、こう言った。「いくつかゲル(赤くて汚い物のこと。

 

 

大抵は服をサフラン色に染めていた)を持ってきなさい。今日私たちはサフラン色の服を着よう」誰もババの言っていることを理解できなかった。そしてしばらくしてババが戻り、正午のアーティの準備が始められると、バプサヘブ・ヨグがミュル・シャストリにアーティに一緒に行くかどうか尋ねた。

 

 

彼は午後にババに会いに行くと答えた。ババは椅子に座り、帰依者たちがババを礼拝して、アーティは始められた。するとババは言った。「新しくナシクから来たブラーミンからダクシナを取ってきなさい」ブティ自身がダクシナを取りにワダへ行って、ミュル・シャストリにババのメッセージを伝えると、彼は非常に困惑した。彼は心の中で思った。「私は純粋なアグニホトリ・ブラーミンだ。

 

 

なぜ私がダクシナを払わなくてはいけないのか?ババは偉大な聖者かもしれない。でも私は彼の召使ではない」しかしサイババのような偉大な聖者がブティのような百万長者を介してダクシナを要求しているのだから、彼は拒むことができなかった。そこで彼は日課の勤めを中断して、ブティと共にマスジッドへ向かった。彼自身が神聖で、マスジッドはそうではないと考えていた彼は、両手を合わせた後、離れた場所からババに向かって花を投げた。

 

 

すると、見よ!突然に彼はババではなく、彼の亡くなったグル・ゴラプ・スワミをそこに見たのである。彼は驚愕した。これは夢だろうか?いや、そうではない。彼はしっかりと目を開けているのに、なぜそこに亡くなったグル・ゴラプがいるのだろうか?彼はしばらく言葉を失ってしまった。彼は自分をつねってまた考えた。だがマスジッドに故グル・ゴラプがいるという事実は受け入れられなかった。遂に、全ての疑問を脇に置いて、彼はそこへ行ってグルの足元にひれ伏し、両手を組み合わせてその場に立ち上がった。

 

 

他の人々はババのアーティを歌っている中、ミュル・シャストリは彼のグルの名を大きな声で謳った。それから彼は自分のカーストや自分が神聖だというプライドをかなぐり捨てて、グルの足元にひれ伏し目を閉じた。彼が起き上がって目を開けると、そこにはダクシナを求めるババがいた。ババの至福に満ちた姿と思いも寄らないパワーを目の当たりにして、ミュル・シャストリは我を忘れてしまった。

 

 

彼は喜び極まって、目には涙が溢れた。彼はもう一度ババに敬意を表すると、ダクシナを渡した。彼は、自分の疑いは晴れ、自らのグルを見たと言った。このババの素晴らしいリーラを見て、ミュル・シャストリを含めた皆が感動し、ババの言った「ゲルを持ってきなさい。私たちは今日サフラン色の服を着よう」という言葉の意味を理解したのだった。ババのリーラはこのように素晴らしいのである。


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シルディ・サイババ(ニモンカール夫人)

2011-09-30 | シルディ・サイババ

ニモンのワタンダールで、名誉判事であるナナサヘブ・ニモンカール氏は妻とともにシルディに滞在していた。ニモンカール夫妻はほとんどの時間をマスジッドでババと共に過ごし彼に仕えた。

 

 

そんな折、彼らの息子がベラプールで病に倒れ、母親はババの許可を得てベラプールに行き、息子や親戚に会ってそこに数日滞在しようと決めた。だがナナサヘブ氏は夫人に翌日には返ってくるように告げた。夫人は困ってどうしてよいか分からなかったが、彼女の神サイが彼女を助けにやってきた。

 

 

シルディを去る際、彼女はサテのワダの前に立っているババのところへ行き、ナナサヘブ氏らと共にババの足元にひれ伏して、出かける許可を乞うた。ババは彼女に言った。「早く行きなさい。

 

 

慌てずに落ち着いて。ベラプールには4日間ゆっくりと滞在しなさい。親戚の皆にも会って、それからシルディに戻ってきなさい!」なんと時を得たババの言葉だろうか!ナナサヘブ氏の言葉はババの命令で無効となったのだ。


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シルディ・サイババ(バウシャヘブ・デュマル)

2011-09-30 | シルディ・サイババ

さて、今度は別の物語を聴いて戴こう。バウシャヘブ・デュマルは訴訟の為ニプハッドに行くところだった。その途中で彼はシルディに寄ってババのダルシャンを受け、ただちにニプハッドへ向かいたいと思っていた。

 

 

だがババはそれを許さなかった。彼はシルディに一週間以上滞在することになった。しばらくするとニプハッドの裁判官がひどい腹の痛みに襲われ、訴訟は延期されることになった。デュマル氏はその後、出立を許可され訴訟に出席した。訴訟は4ヶ月続き、4人の裁判官が担当した。最終的にはデュマル氏は訴訟に勝ち、彼のクライアントは無罪放免になったのだった。

 


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シルディ・サイババ(カカ・マハジャニ)

2011-09-30 | シルディ・サイババ

 ある時カカ・マハジャニがムンバイからシルディへ行った。彼はそこに一週間滞在して、ゴクル・アシュトミ祭(クリシュナの誕生日を祝う祭)を楽しみたいと思っていた。彼がババのダルシャンを受け終わると、すぐにババは彼に言った。

 

 

「君はいつ家に帰るのかね?」彼はこの質問にやや驚いたが、答えなければならなかった。彼は、ババに帰るように指示された時に帰りますと答えた。するとババは「明日帰りなさい!」と言った。ババの言葉は法であり、従わなくてはならなかった。そこでカカ・マハジャニはすぐにシルディを後にした。

 

 

彼がムンバイの事務所に行くと、彼の雇い主は心配しながら彼を待っていた。彼の上司が突然病に倒れ、カカがどうしても必要だったのだ。彼はシルディにいるカカに手紙を送っていたが、ムンバイ戻ってきた彼に直接伝えることとなった。

 

1.:アガスティ:高名なヒンドゥー教の聖者


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シルディ・サイババ(聖者の使命)

2011-09-30 | シルディ・サイババ

私たちは前に、神が化身となる目的は、善を守り、悪を破壊することであるということを見てきた。だが聖者の使命は全く異なる。彼らにとって、善と悪は同じなのである。まず彼らは悪い行いをしている者を引っ張りあげ、正しい道へと向かわせる。

 

 

彼らはバヴァ・サガール(世俗の生活)を破壊するアガスティ1であり、無知の闇を破壊する太陽である。神は聖者の中に住んでいる。実際、彼らは神となんら変わらない。私たちのサイは神の一人であり、帰依者の幸福の為に肉体に降りてきたのだ。最高の知識を持ち、神のオーラに包まれて、彼は全ての存在を等しく愛した。彼は無執着だった。敵も友も、王も貧しいものも、皆彼にとっては同じだった。

 

 

 

彼の勇敢な行為について聞くがよい!帰依者のためであれば、彼は蓄えてある功徳を差し出し、彼らを助けるために常に注意を怠らなかった。だが彼が受け入れるつもりがなければ、帰依者たちは彼には決して近づけなかった。

 

 

 

もしも彼らに対面の時間が回ってこなければ、彼らはババを思い出すことがなく、ババのリーラも彼らの耳には届けられない。ではどうすればババに会うことができるのだろうか?サイババに会いたいと願いながら、彼のマハサマディまでダルシャンを得る機会がなかったという人々もいた。

 

 

ババのダルシャンを受けたいと願いながら、それが叶わなかった人は大勢いる。そのように彼を信じる人々がババのリーラについて聞けば、ババのダルシャンを求める彼らの想いはそのリーラによって随分と満たされることだろう。誠に幸運なことにババのダルシャンを受けられたとしても、彼らはそのままずっとそこに留まることができただろうか?そうではない。ババが望まない限り、自らそこへ行くことができ、留まることができたものは誰もいない。ババが許可しさえすれば、彼らは留まることができ、ババから指示があれば彼らはそこを立ち去らねばならなかった。全てババの神の意志に基づいて行われたのである。

 


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シルディ・サイババ(元素を制御するババの)

2011-09-29 | シルディ・サイババ

ババが元素を制御することを示す2つの事例を挙げて、本章を締めくくることにする。()かつてシルディで酷い嵐の晩があった。空は厚くて黒い雲で覆われていた。猛烈な風が吹き始め、雲がうなりを上げ、稲妻が走り、土砂降りの雨が降り始めた。わずかの間に、全土が水で溢れてしまった。鳥も家畜も人間も、全ての生き物が恐れおののき、マスジッドへ避難しに集まってきた。シルディには土地の神々がいたが、誰もそちらへ助けを求めには行かなかった。

 

 

そこで彼らは、彼らの神であり、彼らの信仰を好み、嵐をとりなし鎮めてくれるババに祈った。ババは非常に心を動かされた。彼は出てきてマスジッドの端に立ち、轟くような大声で嵐に向かって叫んだ。「止まれ。猛威を振るうのを辞めて鎮まれ!」数分のうちに、雨は静まり、風は吹くのを止め、嵐は収まった。それから空には月が昇り、人々は喜んで家に帰ったのである。(2)別の時、正午頃にドゥーニの火が明るく燃え始め、その炎は上の垂木にまで届きそうになった。

 

 

マスジッドに座っていた人々はどうしてよいか分かなかった。彼らは水を掛けてくれるようババに頼むことができず、炎を鎮める術がなかった。だがババは起きていることを察知した。彼はサトカ(短い棒)を取り上げ、正面の支柱に打ち付けながら言った。「落ち着いて、鎮まりなさい」サトカを打ち付けるたびに、炎は鎮まり、数分のうちにドゥーニはいつものように穏やかになったのだった。

 

 

これが神の化身である私たちのサイである。彼はその前にひれ伏し、全てを委ねる者を誰でも祝福する。信仰を持って本章の物語を毎日読む人は、すぐにあらゆる惨事を逃れることができる。それだけでなく、常にサイに心を置き信仰する者はすぐに神のビジョンを得て、望みは満たされ、欲望のない究極の状態になって、至福を得ることができるのである。アーメン!

 

 


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シルディ・サイババ(ハッジのシッディック・ファルケ)

2011-09-29 | シルディ・サイババ

ババがいつ帰依者を受け入れるかは分からなかった。それは彼の意志にかかっていた。シッディック・ファルケの物語はこの点を綴ったものである。カルヤンのサディック・ファルケというイスラム教の紳士が、メッカとマジナへの巡礼の旅を終えて、シルディにやってきた。

 

 

彼はチャヴァディに住んでいて、マスジッドの中庭に北を向いて座っていた。9ヶ月の間ババは彼を無視し、マスジッドに入ることを許さなかった。ファルケは悲嘆に暮れて、どうしてよいか分からなかった。誰かが彼にがっかりすることはない、ババに近い熱心な帰依者のシャマ(マドハヴラオ・デシュパンド)を介して近づいてみるといいと助言した。

 

 

彼は、人々が主シヴァの召使であり帰依者のナンディを通じて主に近づいたように、シャマを通してババに近づけばよいと言った。ファルケはこのアイデアを気に入って、シャマに彼をとりなしてくれるように懇願した。シャマはこれに同意して、頃合を見計らってババに彼のことを話した。

 

 

「ババ、なぜ年老いたハッジにマスジッドに入ることをお許しにならないのですか?大勢の人々が自由に出入りしてあなたのダルシャンを受けているというのに、なぜ彼を一度も祝福されないのですか?」ババは応えて言った。「シャマ、君はこれを理解するほど成熟していない。アラーが許さないものを、どうして私が許すことができようか?彼の恩寵なしに、誰がマスジッドに上ることができるだろう?彼のところに行って、バルヴィ井戸の近くの狭い小道を来ることができるか、聞いてきなさい」シャマは聞きに行くと、これを肯定する答えを持って帰ってきた。

 

 

ババはシャマに言った。「彼に、4回の分割払いで合計40,000ルピーを私に支払うつもりがあるか、聞いてきなさい」シャマは行って、4,000,000ルピーですら払うつもりがあるという答えをもって帰ってきた。再びババはシャマに言った。「これからマスジッドで羊をさばこうと思うが、彼に羊の足や腰や睾丸を食べるつもりがあるか聞いてきなさい」シャマは、ハッジはババのコランバ(くずいれ)のパンくずであろうと喜んで戴きますという答えを持って戻ってきた。

 

 

これを聞いてババは激昂し、土製のツボとコランバを手にとって投げつけ、直接ハッジのところへ行き、カフニを腕にたくしあげてこう言った。「お前はなぜ年老いたハッジとしての自分を自慢し気取るのか?こんな風にコーランを読むのか?お前はメッカへの巡礼の旅を誇りに思っている。

 

 

だが私のことは知らないではないか」このように叱られ、ハッジは狼狽した。それからババはマスジッドへ戻り、バスケットに入ったマンゴーを買い、ハッジに送った。それからまたババはハッジのところへ行って、自分のポケットから55ルピーを取り出し、ハッジの手に渡した。それ以降ババはハッジを愛し、食事に彼を招き、ハッジは好きなときにマスジッドに入れるようになった。ババは時折、数ルピーを彼にやり、ハッジはババのダルバールに入ることができたのである。

 

 


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シルディ・サイババ(ドクター・パンディットの礼拝)

2011-09-29 | シルディ・サイババ

タティヤサヘブ・ヌールカールの友人のドクター・パンディットはある時ババのダルシャンを受けにシルディにやってきた。ババに敬礼をしてから、彼はしばらくマスジッドに座っていた。ババは彼にダダバット・ケルカールの所に行くように言った。

 

 

彼はダダバットの元へ行き、歓迎された。それからダダバットはプジャをする為に家を出るので、ドクター・パンディットも彼について行った。ダダバットはババを礼拝した。そのときまでは誰もババの額に白檀の練り粉を付けようとはしなかった。ムハルサパティだけがババの首にいつも付けていた。

 

 

だが純真な思いから、ドクター・パンディットはプジャの道具を入れたダダバットの皿を取り上げて、そこから白檀の練り粉を取り、ババの額に三本の水平な線を描いた。皆が驚いたことに、ババは黙ったまま、何も言わなかった。その夜ダダバットはババに尋ねた。

 

 

「あなたは額に他人から白檀の練り粉を塗られるのを嫌がっていたのに、どうしてドクター・パンディットには許したのですか?」ババは、ドクター・パンディットはババを彼のグル、カカ・プラニクで知られたドペシュワールのラグナス・マハラジと同じだと信じていたので、彼のグルにしているようにババの額にも練り粉を付けたのだ、と言った。だからババは異論を唱えることができなかったのだ。

 

 

この質問について、ドクター・パンディットはダダバットに対し、彼はババを自分のグル、カカ・プラニクと同一だと悟ったので、彼のグルにしているようにババの額に水平に3本線の練り粉を付けたのだと言った。

 

ババは帰依者たちに、彼らが望むように自分を礼拝することを許していたが、時には奇妙な振る舞いをすることがあった。時折、彼はプジャの皿を投げ、激怒した化身になったため誰も近づくことができなかった。

 

 

時には帰依者を叱った。時には彼は蜜蝋より温和になり、平和と赦しの立像であるかのように見えた。彼は怒りで震え、真っ赤な目をぐるぐる回して見せたが、内面的には情愛の海であり母なる愛であった。彼は帰依者たちに呼びかけて、自分は彼らのことを怒ったことなど一度もないと言った。

 

 

もし母親が子供を蹴り飛ばしたり、海が河に逆流するようなことがあれば、自分も帰依者たちの幸福を放棄できるかもしれない。だが帰依者たちの奴隷である自分は、常に彼らの傍らに立ち、彼らが自分を呼ぶ時にはいつでも彼らに応え、常に彼らの愛を求めているのだ、と言ったのである。

 

 


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シルディ・サイババ(サグン)

2011-09-29 | シルディ・サイババ

サグン(顕現した)・ブラフマンとしてのサイ

 

神またはブラフマンには2つの側面がある。(1)顕現していない(ニルグン)場合、(2)顕現している(サグン)場合。ニルグンは形がなく、サグンは形を持つ。どちらも同じブラフマンを示している。ある者は前者を礼拝するのを好み、ある者は後者を好む。ギータ(十三章)に述べられているように、後者を礼拝する方が容易で好ましい。

 

 

人は形を持っている(肉体、感覚など)ので、形ある神を礼拝するのは自然なことである。私たちの愛と信仰心は、ある一定の期間は顕現したブラフマンを礼拝しない限り成長することがなく、私たちの成長する過程でやがて顕現していないブラフマンを礼拝(瞑想)するように導かれていく。

 

 

だからサグンを礼拝することから始めよう。像、祭壇、火、光、太陽、水、ブラフマンは礼拝の7つの対象である。だがサドグルはこれらより尚良い。この機会に私たちの心に、無執着の化身であり、帰依者のための安息所であるサイの姿を思い浮かべよう。彼の言葉を信仰することはアサンである。

 

 

私たちのサンカルパ(プジャを成し遂げるという決意)は私たちの欲望を放棄するものである。ある者はサイがバガヴァッド・バクタ(主の帰依者)であると言い、別のものは彼はマハ・バガヴァッド(偉大な帰依者)であると言った。だが私たちにとって彼は主の化身である。彼は常に許し、イライラすることなく、率直で、穏やかで、忍耐強く、満ち足りていて、比類のない方だった。

 

 

彼は具現化して(姿を持って)いるように見えたけれども、本当はそうではなく、感情はなく、執着もなく、内面は自由であった。ガンジス河は海に至る途中で、暑さに冒された生き物たちを冷やして元気付け、作物や木々に命を与え、大勢の喉の渇きを潤している。同様にサイのような聖者も、生きている間に、皆に慰めと安らぎを与えてくれる。主クリシュナは、聖者は私の魂であり、私の生きる偶像であり、私は彼であり、彼は私の純粋な形(存在)である、と言っている。

 

 

この名状しがたいシャクティ、神の力が純粋な存在として、知識や至福として、シルディのサイの姿に化身したのである。シュルティ(タイッティリヤ・ウパニシャド)はブラフマンを純粋な至福であると記述している。このことを私たちは本書で毎日読んだり聴いたりしているが、信心深い人々はこのシルディのブラフマンや至福を体験したのである。

 

 

万人の支持者であるババは、誰からの支援もアサンも必要としなかった。彼はいつもバクタたちが用意した小さな敷布団の付いた椅子にかける布切れと、背中を休める長枕を持っていた。ババは帰依者たちの気持ちを尊重し、彼らの好きな様に礼拝することを許した。ある者は彼をチャマールという扇子で扇ぎ、ある者は楽器を演奏し、ある者は彼の手足を洗い、ある者は香やチャンダンを焚き、ある者は葉に包んだビンロウジを送り、ある者はナイヴァイディヤを捧げた。

 

 

彼はシルディに住んでいるように見えたが、どこにでも存在していた。彼の普遍性は毎日、帰依者たちが体験していた。この遍在するサドグルに謙虚にひれ伏そうではないか。

 

 


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