ハリ・シタラム氏、別名カカサヘブ・ディクシットは1864年にカンドワ(中央州)のヴァドナガラ・ナガールでブラーミンの家に生まれた。彼は初等教育をヒンガンガットのカンドワで受け、中等教育はナグプールで受けた。彼は高等教育を受けるためにムンバイへやって来て、最初はウィルソン・カレッジで学び、後にエルフィンストーン・カレッジで学んだ。
1883年に卒業すると、彼はLL.B.(法学学士)を取得し、事務弁護士の試験に合格した。それから政府の事務弁護士組織、Little and Co.,に勤務し、暫くして自ら事務弁護士の会社を興した。
1909年以前、サイババの名前はカカサヘブには馴染がなかったが、その後彼はすぐにババの熱心な帰依者になった。彼がロナヴラに滞在している時に、偶然旧友のナナサヘブ・チャンドルカールと出会った。二人共積もる話をしてしばらく過ごした。カカサヘブは、ロンドンで列車に乗っている時に、事故にあって足を滑らせて怪我をしたことを話して聞かせた。
山ほど薬を試したが治癒しなかった。そこでナナサヘブは、痛くて不自由な足を治したいなら、彼のサドグル、サイババの処へ行くべきだと言った。彼はまたサイババのことを詳細に彼に話し、サイババの格言を聞かせた。「たとえどれほど遠くにいようとも7つの海を越えていようとも、足に紐を付けたスズメのように、私は自分の帰依者を私の元へ引き寄せる」彼もまた、もし彼がババの帰依者でないのなら、ババに惹きつけられることもなくダルシャンも与えられない、と明言した。カカサヘブはこの話を聞いて喜び、彼もババの所へ行き彼に会って、不自由な足を治してもらうことよりも、むしろ不完全で移ろいやすい心を変えて、永遠の至福を与えてもらうよう祈りたい、とナナサヘブに言った。
しばらく後、カカサヘブはアーメドナガールに行き、ムンバイ立法議会での議決権を確保するために、シルダール・カカサヘブ・ミルカルと共に滞在した。コペルガオンのマムラトダールであるカカサヘブ・ミリカールの息子のバラサヘブ・ミルカール氏も、そこで馬の展覧会がある関係でその時期にアーメドナガールに来ていた。選挙がらみの仕事が終わると、カカサヘブ・ディクシットはシルディに行こうと思い、ミリカール父子もガイドとして適任だと考えていたので、彼らと共に行くことになった。ババは彼を迎える手はずを整えていた。
シャマはアーメドナガールにいる義理の父親から電報を受け取り、父の妻が重病なので彼の妻と共に彼女に会いに来るようにと書かれていた。シャマがババの許可を得て出かけていくと、彼の義理の母は回復していた。ナナサヘブ・パンセとアッパサヘブ・ガドレが展覧会に行く途中にシャマに会い、彼らはシャマにミリカールの家へ行って、カカサヘブ・ディクシットに会って彼をシルディに連れて行って欲しいと言った。カカサヘブ・ディクシットとミリカール父子はシャマが訪ねてくることを知らされていた。
夜になってシャマはミリカールの家にやってきて、カカサヘブに自己紹介をした。彼らはシャマがカカサヘブを連れて10時の夜の列車でコペルガオンに向かうように手配していた。この予定が決まると、興味深い出来事が起きた。バラサヘブ・ミリカールがヴェールをはいで、ババの大きな肖像画をカカサヘブに見せた。彼は驚いて見つめた。彼がこれからシルディで会おうとしている人物が、肖像画という形でそこにいたのだから。彼はひどく感動して肖像画の前でひれ伏した。
この肖像画はメガのものだった。額のガラスが壊れてしまったので、修繕のためにミリカールの処へ送られてきたのだった。必要な修繕は既に施され、肖像画はカカサヘブとシャマに委ねて返してもらうことになった。
10時前に彼らは駅へ行き座席を予約したが、列車が到着すると二等席は人で溢れていて、彼らの乗るスペースはなかった。幸運なことに列車の車掌がカカサヘブの知り合いだったので、彼らは一等席へ入れてもらえた。それで彼らは快適な旅をしコペルガオンに到着した。
彼らがそこでやはりシルディに向かおうとしているナナサヘブ・チャンドルカールを見つけたときには、彼らは大変に喜んだ。カカサヘブとナナサヘブは互いに抱き合い、聖なるゴダヴァリ河で沐浴をした後、シルディに向けて出発した。シルディに到着してババのダルシャンを受けると、カカサヘブのハートは溶けてしまい、彼の目は涙で一杯になり、心は喜びで溢れていた。ババは彼に、自分も彼を待っていたと言い、彼を迎えにやるためにシャマを先によこしたのだと言った。
カカサヘブはその後ババの側で長い年月を幸せに過ごした。彼はシルディにワダを建て、そこが彼の終の棲家となった。彼がババから得た体験はあまりにも多く、ここに全てを記すことは不可能だ。読者には”Shri Sai Leela”誌Vol.12, No.6-9の特別号(カカサヘブ・ディクシット)を読むことをお勧めする。
私たちはこの一節を一つの事実を記述して締めくくりたい。ババは最後に彼に慰めの言葉を送っている。「神は空飛ぶ四輪大型馬車(ヴィマン)で彼を連れてゆくだろう」(つまり安らかな死を約束した)これは現実となった。1926年7月5日、彼はヘマドパントと列車で旅をしていて、サイババの話をしていた。彼はサイババに深く心酔しているようだった。突然彼の首がヘマドパントの肩に投げ出され、痛みも苦痛の跡形もなく息を引き取ったのだった。