癒しの森湯布院がある湯布院の塚原高原に、神が宿る巨岩石があると10数年前地元の長老に聞いていたのであるが、その当時はインド探索に忙しく興味もなかったのであるが、癒しの森に大日如来像が来てから、何か胸騒ぎを覚えるようになった。
その巨岩石の存在を知っている唯一の長老も92歳になり、ころんで頭を打ち入院をしている情報を知りお見舞いがてら情報をしいれたのであるが、あと1年遅れていたら危なかったと胸を撫でおろしたのであります。当時の塚原地区は貧しく誰も興味を示す者はなく、友人と二人しかその存在を知る人はなく、その友人は他界したとのことであります。(では興味を示す人はある意味変人とされていた。ゆえに歴史や文化が消え去ろうとしている。)
情報を知ったのは、他界した友人の明治生まれの親父さんからの情報であり、東京の考古学学者の鳥居教授のお墨付きであるとの事であります。明治生まれの方には何らかの能力が残っていたのか出口王仁三郎や植芝盛平や生き神様など多くの偉人は明治生まれであり、何らかの方法で神と繋がっているのでありましょう。合気道のご開祖の植芝盛平はまさしく神業の達人であり、柔道の三船十段なども現代では考えられない技で大男をいとも簡単に投げ飛ばしていたのです。(動画を見ればわかるでしょうが、小柄で明治生まれなどが合気道の植芝先生と共通し、共に何らかの方法で神と繋がったものと思われます。すなわち神のエネルギーなくして神業は完成しないと思うのです。)
神の薬と言われる牛黄(ごおう)は牛の胆石であるが、その存在を知ったのはアフリカやインドの山奥に住む
原住民であり、胆石がある牛は夜になると胆石がある部分が光ることで不思議に思い見つけたそうであります。その牛黄の薬効は、この世に存在する薬物では最高品と今でも言われており、超貴重品であるのですが、人間の知恵で牛の体内で作り出すことは出来ない。
何故なら神が人間に与えた物質であるからである。人間に胆石を創るのは簡単であろうが牛にはできないゆえにインドでは牛は神として崇められているのです。出口王仁三郎も洞窟で瞑想して神の啓示を授かったと言われています。もちろん山の中腹の石の洞窟であります。多分王仁三郎も夜になると光る石が見えていたのでありましょう。
巨岩石がゴロゴロしている塚原高原において大きな石は珍しいものではなく、なぜその石の存在に興味を示し東京の考古学者が研究する過程になったのかを自分なりに少し調べたら鳥居教授のお弟子さんが湯布院で病気療養をしていた記事を見つけたのであります。お見舞いに来たのかお弟子さんが連絡したのかは、わかりませんが、調査に至り小石の配列などにより石器時代の儀式跡に間違いないと認定されたそうです。
この山の中腹に巨岩石があるそうなのですが詳しい場所は長老と私しか知りません。地区の共有地の為入ると3万円の罰金を徴収すると看板が出ています。84人の共有地で長老から権利を買い取るには800万円が相場とのことですから、何らかの方法で入山することを考えます。この共有地は広く一部でソーラー発電でもめています。地元の共有地を持つ84人の大半は賛成派で別荘地に住む者は反対でもめていますが、多分できるでしょう。なら、ここも開発して頂き社(やしろ)を建てらせるのも一案かと頭をよぎったのですが、やはり自然環境が一番かと悩みが絶えません。あとは神にお任せです。
由布山を望む。
安心院の龍王城の城主のお墓の場所です。
満月行でご神木プージャを行った炎です。(炎は龍の夫婦?)
その巨岩石の存在を知っている唯一の長老も92歳になり、ころんで頭を打ち入院をしている情報を知りお見舞いがてら情報をしいれたのであるが、あと1年遅れていたら危なかったと胸を撫でおろしたのであります。当時の塚原地区は貧しく誰も興味を示す者はなく、友人と二人しかその存在を知る人はなく、その友人は他界したとのことであります。(では興味を示す人はある意味変人とされていた。ゆえに歴史や文化が消え去ろうとしている。)
情報を知ったのは、他界した友人の明治生まれの親父さんからの情報であり、東京の考古学学者の鳥居教授のお墨付きであるとの事であります。明治生まれの方には何らかの能力が残っていたのか出口王仁三郎や植芝盛平や生き神様など多くの偉人は明治生まれであり、何らかの方法で神と繋がっているのでありましょう。合気道のご開祖の植芝盛平はまさしく神業の達人であり、柔道の三船十段なども現代では考えられない技で大男をいとも簡単に投げ飛ばしていたのです。(動画を見ればわかるでしょうが、小柄で明治生まれなどが合気道の植芝先生と共通し、共に何らかの方法で神と繋がったものと思われます。すなわち神のエネルギーなくして神業は完成しないと思うのです。)
神の薬と言われる牛黄(ごおう)は牛の胆石であるが、その存在を知ったのはアフリカやインドの山奥に住む
原住民であり、胆石がある牛は夜になると胆石がある部分が光ることで不思議に思い見つけたそうであります。その牛黄の薬効は、この世に存在する薬物では最高品と今でも言われており、超貴重品であるのですが、人間の知恵で牛の体内で作り出すことは出来ない。
何故なら神が人間に与えた物質であるからである。人間に胆石を創るのは簡単であろうが牛にはできないゆえにインドでは牛は神として崇められているのです。出口王仁三郎も洞窟で瞑想して神の啓示を授かったと言われています。もちろん山の中腹の石の洞窟であります。多分王仁三郎も夜になると光る石が見えていたのでありましょう。
巨岩石がゴロゴロしている塚原高原において大きな石は珍しいものではなく、なぜその石の存在に興味を示し東京の考古学者が研究する過程になったのかを自分なりに少し調べたら鳥居教授のお弟子さんが湯布院で病気療養をしていた記事を見つけたのであります。お見舞いに来たのかお弟子さんが連絡したのかは、わかりませんが、調査に至り小石の配列などにより石器時代の儀式跡に間違いないと認定されたそうです。
この山の中腹に巨岩石があるそうなのですが詳しい場所は長老と私しか知りません。地区の共有地の為入ると3万円の罰金を徴収すると看板が出ています。84人の共有地で長老から権利を買い取るには800万円が相場とのことですから、何らかの方法で入山することを考えます。この共有地は広く一部でソーラー発電でもめています。地元の共有地を持つ84人の大半は賛成派で別荘地に住む者は反対でもめていますが、多分できるでしょう。なら、ここも開発して頂き社(やしろ)を建てらせるのも一案かと頭をよぎったのですが、やはり自然環境が一番かと悩みが絶えません。あとは神にお任せです。
由布山を望む。
安心院の龍王城の城主のお墓の場所です。
満月行でご神木プージャを行った炎です。(炎は龍の夫婦?)