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小学生のための国語作文指導法 ①

2019-01-04 20:12:14 | 国語問題・作文指導

国語の作文指導をどのようにしたらよいのか

 

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

  先日、小学2年生の子供を持つ30代半ばの(美人の)お母さんと話をする機会があり、国語の「作文」の話になった。その子は作文が上手だということで実際に書いた文章をみせてもらうと、確かに(小学2年の基準からからすると)なかなか上手に書けていた。字もきちんと綺麗に書いているし大したものだと思ったのである。が、よくそのお母さんと話してみると、「この子は作文が得意のようなので、もっと作文の書き方を教えてあげたいがどのように教えたらよいのかよく分からない」ということだった。

  そのお母さんに小中高、大学でどのような作文指導を受けたのかと聞くと「そのようなものを受けた記憶がない」という返事が返ってきた。我が家の20代後半の娘に聞いても同様な返事が返ってきた。私も記憶をたどって自分の受けた“作文指導”を思い起こしたのであるが、私のブログ『英語教育は破綻するか(英語教育の問題点)』の中で言及しているように皆無であった。ただ、小学2年生のときにハガキを一枚教室に持って来るように言われ、

  皆さんのお母さんの方のおじいさん、おばあさんにハガキを書きなさい。自分の思っていることをなんでもいいから書きなさい。宛名と住所はお母さんに書いてもらいなさい。

というような先生の指示があり、私は、拙い字で

  せんせいにいわれたのでかきました。・・・(この後の一文は覚えていない)

と書き、母にそのハガキを渡して母方の祖父母に出してもらった。この後、祖父母の家に行くと、小父(母の弟で当時26歳)に「先生に言われたので書きました、なんてハガキが来たぞ?!もう少し別のことを書けよ!」と言われて何回もからかわれたことを記憶している。

  私が小学校から大学まで具体的で明確な国語の作文の指導は、率直に言って“小学2年のハガキ作文(ハガキという具体的な用紙に鉛筆で具体的な対象・母方の祖父母に“なんでもいいから思っていること”を書くこと)”だけだったと思う。そして、書き方の具体的な指導はなく、小学校の高学年ともなると、夏休みの宿題などに読書感想文が入ってきて、中学、高校と、読書感想文の書き方の指導は一切無く、その提出を求められた(注1)

  国語(日本語)の運用にあたって日本語を母語とする者にとって一番むずかしいのが“書くこと”である。これはどの言語でも同じである。英語の場合でも、speaking (話すこと)、 reading (読むこと)、writing (書くこと)の中で一番むずかしいのが writing (書くこと)である。米国では小学校4年頃からしっかりと本格的な指導法(三部構成のessay writing と構成法に基づくcreative writing[創作文]の書き方などがある(*注2))に基づいて(英語で)書くこと(writing=composition)を教えている。米国の場合、書き方はその指導法が確立されており教師もそれに従って自信をもって生徒の指導にあたっているようである。

  日本では作文の指導法は確立されておらず、率直に言えば、教師も(ごく少数の例外を除けば)どのように教えていいのか戸惑い、いまだ「思うように書きなさい」というしかない状態であろう。これは教師個々の問題ではなく、文科省レベルの問題(つまり、カリキュラムの問題)であろう。教員になっているものでも自分が小学校から大学まで学ばなかったものを自信を持って生徒に教えることはできない。もし、問題解決能力のある(=頭の良い)文部官僚がいれば有能な大学教員などをメンバーにして(得意の)プロジェクトチームを立ち上げて何らかの解決法を出してくると思うのだが、いったい、どうなっているのか。

  前置きが長くなったが、小学校2年生程度 (平仮名が書けるようなら四、五歳くらいからでもかまわない) の具体的な作文指導法を下に示したい。

  用意するのはハガキ(往復ハガキの方がよい)である。三部構成にする。

 おじいちゃんへ(おばあちゃんへ、おじいちゃん、おばあちゃんへ)…「拝啓」に相当

 本文(お年玉のお礼、入学祝いのお礼、遊園地で遊んでくれたお礼など、何でも思ったことを書く。…「本文」に相当

 これで終わります。さようなら。…「敬具」に相当

④ 最後に「名前」を書く。

 

[小学1、2年生用(4,5歳児からでも可能な場合あり)]

 

おじいちゃんへ、

 

こうえんのぶらんこであそんでとてもたのしかったよ。ありがとう。

 

 

 

これでおわります。さようなら。

   

          名前 ◇◇◇△△△ 

 

 

   手紙や葉書などの定型の書式はそれなりの意味がある。「拝啓・本文・敬具」という型は、文章をかくときの「出だし」「終り」の難しさをいっきに解消させてくれる。 小説や随筆となると、「出だし」が勝負となり、興味を惹きつけるものでないと人は読んでくれない。これが小説などの創作文の一番むずかしいところである。が、定型はこの難しさを消し去ってくれる。「本文」の部分は「思っていることをそのまま書きなさい」という指導で良いが、ヒント (お祝いのお礼、プレゼントのお礼、遊んでもらったことのお礼など) は与えるのである。

  柔道でも空手でもバレーでも日本舞踊でも最初は型から始める。柔道などでもいきなり実戦をすることはない。受け身を習得してから攻めワザを習う。武術でもスポーツでもダンスなどでも最初は型の練習から始める。「作文」も基本的には同じである。まず、型の練習をしなければならない。「思うように書きなさい」という指導は、いちばん難しい指導法であり、まだ何も知らない初心者にいきなり空手の実戦をやらせるようなものに近い。多数の人たちが「思うように書けない」からこまっているのだ。

  さて、孫から自筆のハガキをもらったおじいちゃん(おばあちゃん)は、電話で孫をほめることになるだろうが、ここで「往復ハガキ」になっていたら、孫にハガキで返事を書くことになる。祖父母と孫の往復書簡ということになる。日本郵便はこの私の“アイデア”を採用し「おじいちゃんおばあちゃんと孫の往復書簡」 キャンペーンをすれば日本人の文章力(writing力)のアップにつながり、会社の利益アップにもつながるのではなかろうか。

  それでは、小学生高学年の作文指導法の提案をしたい。

 基本は三部構成である。

  ① 出だし…序論→問題(問題提起)

  ② 本文…本論→討論

  ③ 結び…結論→決定(解決) (注3)

 

  出だし(問題提起)が一番むずかしいが、ここは作文指導なので具体的なものを示したい。それは、

  *私は「大阪」が大好きです。(なぜでしょうか)

次に、その理由をいろいろ書いてゆく。

  *大阪は◇◇です。大阪には△△があります。大阪の人たちは□□です。

というようにその理由を列挙していく。ここは思うように書けばよい。

最後に、

  *上のような理由で私は大阪が大好きです。

とまとめる。もちろん、「大阪」の部分は住んでいる地域によって「埼玉」「北海道」「広島」「東京」と変えるのである。都道府県名よりも「◇◇市」「△△町」の方が書きやすければそのようにした方がよい。もちろん、この部分は「阪神タイガース」でも「巨人」でもかまわないし、「テニス」や「サッカー」などのスポーツでもよいし、「お父さん」「お母さん」「おじいちゃん」「おばあちゃん」「□□先生」、あるいは飼っているペットなど、何でもかまわない(他に害悪を及ぼすものはダメ)。子どもが最も興味をいだき好きなものを選べばよい。ただし、小さな心に深く残ることとなるので、「◇◇は嫌いだ」というようなマイナスのイメージを与えるものは小学生には避けた方がよい。

  小学校5年、6年ということになれば、かなり高度な(ませた)表現を使いこなせるものもいると思われる。どんな、表現を使ってもよいので、最後に、きちんと締めくくりの言葉を使わせるように指導するということである。初めと、終りがしっかりしていれば、真ん中は多少不十分でもいちおう形がととのっているように見えるし、最初のうちはそれでよいのである。これも、(祖父母に評価を求める)往復書簡にして、返信用の封筒に孫の自筆の宛名書きをさせておけば祖父母はいやでも返信しなければならないだろう。ただし、返信に難しい漢字を使ってもかまわないが必ずフリガナを付けるように頼んでおくべきだ(低学年の場合も同じ)。難しい漢字があり意味が分からなければ親に聞くか、辞書を調べることになる。フリガナがあれば辞書が引けることになる(注4)。小学生高学年の子どもには辞書を引く習慣をつけるようにすべきだ。祖父母からの返信はそのよい機会になる。

  さて、図示すると下記のようになる。文章の中身は「問題 (問題提起)」、「討論」、「解決 (決定)」という三部構成となるが、その上に「題」と「作者名」を書いて形式をととのえることを教える。また、文の出だしは1文字下げる(インデントする)ことも指導しておく。

  私が「討論」という用語を使うのは、提起されている問題に対して、賛成意見もあれば反対意見もあることを考えているからである。この“反対意見”の部分を入れ、その反論を入れれば、文章構成でよく取り上げられる「起・承・転・結」「転」の要素を取り込んだことになり、より高度な文章構成法となる。「討論」は「転」も含んでいるが、小学生高学年の段階で「転」を入れるのは少し早いかもしれない。場合による。

 

       [小学校高学年用]

 

  題:ぼくが大阪を好きな理由

              

                        名前 ◇◇ △△

 

 ぼくは大阪が大好きです。なぜだと思いますか。 (問題提起)

 

 大阪には□□があります。

 大阪は・・・                   (討論)

 大阪は・・・

 大阪は嫌いだと言う人もいます。でも、・・・

 

 

  上のような理由でぼくは大阪が大好きです。      (解決)

 

 

 

 

 以上である。最後の「解決」部分は本文の一部を繰り返して強調するような形でふくらませてもよいが、それは生徒次第である。最初はできるだけ単純な型を徹底して教えるのがよいと思う。上記の私の作文指導法は普通のレベルの生徒の作文力を向上させるためのものであるが、非常に優秀な生徒も文章の型を意識することによってさらに文章力は高まるだろう。

 

**引用することや私のアイデアを利用して別の文章の書き方を誘導するのも自由であるが、いちおう私(永井津記夫)のブログか、名前を出していただきたい。

  私は日本語を学び漢字で苦労している外国人(日本語を学ぶ初心者)のために『Nine-House Kanji Quiz』という本を1999年にアスク出版から出した。

(『Nine-House Kanji Quiz』はタイで翻訳版が出版され、近々モンゴルでも翻訳版が出される予定)

これは1992年から1999年まで読売新聞の出している英字新聞「Daily Yomiuriデイリーヨミウリ」に“Kanji Class”というコラムを持ち連載していたものをまとめて出版した本である(私の“考案”した漢字熟語を覚える書式と方式がある) 。漢字を含む日本文は出てくるが説明はすべて英語で書いたもので「英語の本」である。この本を出したとき、日本語の初心者である“日本人の小学生”のために日本語作文の指導をすることなど露にも思わなかったが、むしろ、この方を先に何らかの形で出すべきだったと今は考えている(評価されるかどうかはともかく)。「国語教育の中に日本語の作文(writing)の指導法がない」と文句を言っていても始まらない。今回、このような形で私の考える“作文の指導法”の実際の形を示せてほっとしている。

   ※一つ付け加えておかなければならない。私は小学校2年生の時に“葉書”を用いた“作文指導”を受けたわけであるが、その中身は「思っていることをそのまま書きなさい」という指導で小学2年生には難しすぎる指導であったが、ただ、葉書を使い“孫と母方の祖父母”と文通するアイデアは(当時だれが考え出したのか不明であるが)素晴らしかったと思う。私はここではそのアイデアをそのまま使わせてもらって、さらに一歩すすめて具体的にどのように書くのかを示した。もちろん、“具体的にどう書くか”が最も大切な部分である。 私のブログの中で現在このブログ「小学生のための国語作文指導法」がかなり読まれているようである。少しでも参考になれば「役立った」を押すか「コメント」を残していただければ今後も同様のことを書く上での励みになります。(この部分2020年5月26日追記)

 

(注1) 私は大学で、Creative Writing という英語のショートショートの書き方の指導を米人教授(ギルキーGilkey教授)から1年間学んだ。その間に5(?)編ほどのショートショートを創作し提出しなければならなかった。また、英語の卒論の書き方の指導を日本人の羽田教授から10時間ほど具体的に受けた(論文全体としての体裁の整え方、英文の引用の仕方、パンクチュエーションの打ち方、資料のまとめ方など)。卒論は指導教官との話し合いでテーマを決め、タイプライターで英文を打って提出することになっており(日本語は一切使わない)、昭和44年当時はまだワープロはなくブラザーの英文タイプライターを自分で購入して卒論を書き上げて提出した。従って、私は文章の書き方を[英語ではあるが]大学では具体的に学んだ。   ※※Creative Writing は4回生のときに受講した。最後の回のショートショートを書いているときにひどい風邪を引いて書けなくなり、2月10日ころの提出日に間に合わず、ギルキー先生に電話をかけ提出を2日延長してもらった。この講座の単位は必修で、落とせば卒業できなかったのだ。本格的に彼と話したのはこの時が初めてだった。翌年か翌々年、彼がアメリカに帰りMITで教えることになったので、お別れパーティーに参加して欲しいとAクラスの同窓生から連絡が入った(当時、大阪外大の英語科は60名だったがAとBの二つのクラスに分かれていて、私はBだった)。卒業生はすでに全国に散らばっており、海外にいる者もいてなかなか人数が集まらず、大阪で教員をしていて参加しやすい私に幹事が声をかけたようだった。集まった5名(男ばかり)はギルキー先生を囲んで談笑した。最後に、ちょっとしたお土産を渡すことになったが、「これはちょとしたものですがお受け取りください」という英語をどう言えばよいのか詰まっていると「This is a small memory for you.」と言えばよいとギルキー先生から“最後の講義”を受けた。今ではなつかしい思い出である。

(注2) Essay Writingは日本語の“小論文”と同じと考えてよくいわゆる「序論・本論・結論」の三部構成が書き方の基本でありこの型を米国では生徒に教え込む。私自身は英語や日本語の文章の分類から「問題・解答」型と、「問題・討論・決定」型があることを私のブログ「英語の話④日本語の文章型と英語の五文型の関係」の中で論じ、この型で文章も書けばよいことを示している。 

 

(注3) Creative Writingは創作文であり、ショートショートや物語をつくるのであるが、これも型を中心に内容として盛り込む要素を教える。

(注4) 日本語は小さな子どもにとっては外国語に等しい。私が小学校5年の時に文章を読んでいて一番こまったことは知らない漢字をうまく調べられないということだった。それで、(大人の)本を途中で読むのを諦めざるを得なかったということがあった。もし、フリガナが付いていたら何とか対処できたのではないかと思う。英米人の子どもの場合、大人が読むような本でもすこしませた子なら辞書を使って簡単に意味を把握できるのだ。わからない漢字を漢和辞典で小学生(低学年)が調べるのは困難だが、英語の辞書はabcが分かっていれば子どもでも引けるし、小さな子ども用に開発されたわかりやすく言葉を説明する辞書もある。したがって、英米人のよく国語(英語)のできる子どもは、小学生の低学年から辞書に親しんで文章に秀でている子ということになる。日本人でこのような子どもをつくるためにはすべての漢字に戦前のようにフリガナを付ければよいと思う。そうすれば、小さな子どもの時から比較的むずかしい本を読む習慣ができて、読解力とおそらく作文力にもすぐれた作家の卵ができるように思う(フリガナは外国人にとっても便利であろう)。  (2019年1月4日記)

すぐれた詩人や作家が育たないような国には優秀な科学者も育たないと私は思う。どこかの政府のように大学の文学部などは軽視し、理工学系に重点をおき、しかも、基礎研究を無視し、鼻先に金(研究費)をぶらさげ、今すぐ実用的成果を出せというような政策はノーベル賞受賞者を生み出すような環境ではない。すぐれた詩人や作家は国民(国家)としての余裕であり、余裕のない環境は立派な成果につながらない。大学などの研究機関において余裕のある環境の中で2割の“働き蜂”が成果を生み出すのだ(残りの8割のハチはさぼっているように見えるかもしれないが、頑張る2割の側面援助をしていると考えればよい)。  (1月5日追記)      (1月13日追記)