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問題ある気象情報

2021-07-11 18:01:56 | 時事問題

問題のある気象情報

Legally Not Incorrect but Practically Fake Information

 

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

  昨年の令和2(2021)年7月の九州豪雨について武田邦彦氏が7月7日にユーチューブで見解を出された。私はコメントを書き込んだ。そのコメントをこのブログに再掲し、もう少し意見を付け加えたい。今年(令和3年)7月も豪雨の季節となり、今まで集中豪雨の被害など耳にしたことのない熱海地方で大きな土石流の被害が出た。ネットの情報によると災害の発生地点のすぐ上で大規模なソーラー発電のパネルが設置され、周辺の木々は伐採され大規模な盛土がされていたとのことである。これが事実なら、この“人災”は糾弾されなければならない。この事件の真相は今後あきらかにされるだろう。

 

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九州の大雨 武田邦彦

YouTube 九州地方の大雨 被害に隠された真実 これを言ってTVを降ろされた 

【武田邦彦】毎年起こる九州地方の大雨被害。これには恐ろしい事実が隠れていました。実はこれの”ほとんど”が防げるんです‥2020/07/07

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昨年の九州豪雨に対する武田氏のユーチューブでの私のコメント

 

**大阪府の中央付近を流れる”大和川“は大阪市と堺市の境界を流れ、その源を奈良県に発する1級河川ですが、水量の少ない川として知られています。私が小学2年生の時ですから、今から65年ほど前のことですが、6月の梅雨の時期に恐らく1週間以上も雨が降り続き、通常は水量のあまりない大和川の水位が危険水位を超え、橋の床との差が2メートルもないくらいなりました。橋下には轟音を立てて濁流が流れ、大きな倒木なども流されて来ており、牛が一頭流されてきたのを覚えています。川の水が橋の床を超えて来たら橋が流されると大人たちが言っていました。私の住んでいた家は大和川の北1キロほどのところ、大阪市平野区にあり、大和川は私達子どもの遊び場で夏にはよく泳いでいました。

  私の父親は「大和川があぶない」ということで土嚢積みに近所の人たちと一緒に出かけました。が、「あぶない」と言われて2日もしないうちに雨が止み始め、水位も下がり始めて大人たちが安堵していたのを覚えています。

  現在、私は大阪府の南部、関西国際空港の近くに住んでいますが、その後、大阪に当時のような長期間の降雨が続いたことはなく、大和川が警戒水位に達したこともありません。大阪は安全な地域なのだと言えばそれまでですが、九州や山口や広島県など最近は水害があまりにも多いように思います。

  その大きな原因の一つは、安易な宅地開発によって人が住むのが危険な場所にまで住宅を建設したことであり、また、治水という国を安全に運営していくうえで不可欠の条件を軽視していることだと思います。

  武田先生がおっしゃるように、NHKなどが記録的な豪雨、観測史上最大の雨量などと言う言い回しは人々を脅かすと同時に、「記録的」、「観測史上最大」なら”仕方がない“という感情を人々に与え、国や地方自治体が「治水」という政治を行なっていく上で最も基本的で肝心な事業を“”怠っている“”という事実を浮かび上がらせない効果を持っています。

  戦後の歴史をよく調べても「記録的」や「観測史上最大」という言葉がほぼ”嘘(fake)“であるということが分かりますし、平安時代からの貴族の日記やその後のいろんな記録を精査すれば「記録的」や「観測史上最大」が嘘と言っていいものだということが分かるはずです。「観測」という言葉は、近代的な観測機器が整ったあとのことだけとするというのは、NHK や気象庁や一部の歴史に無知な学者たちの傲慢な考えです。

  国も地方自治体も国民、住民の安全を第一に考えるということを怠っていると言われても仕方がないでしょう。NHK も民放も嘘に近い報道をして人々を脅して視聴率を上げようとするのではなく、住民の安全(治水事業)にもっと金を出せと国や地方自治体に言うべきです。

  国も地方自治体も国民や住民の安全のために最大限の努力をすることが不可欠です。それが政治です。

**補足します。

**大和川はたびたび氾濫しました。大きなものでは、

 ◆戦国時代の1563年5月の8日間の断続的豪雨で河内国の大半が浸水する大洪水が起こり、1万6千余名が死亡。

 ◆1633年8月、柏原村(ここから当時の大和川は北上し最終的に淀川に合流)を始めとする各村の堤防が決壊し死者36名、水田2万石分が被害。

というようなものがありました。

  周辺の住民は江戸幕府にたびたび川の流れる方向を西に(堺方面)変えることを陳情し、新たな川になるところの農民らの強い反対もありましが、幕府は1703年に大和川付替え(瀬替え)を決定し、3年の工事期間の予定でしたが総延長14キロメートル、幅180メートルの川を7万1千5百両(約143億円)の工事費で8ヶ月で完成しました。

    このあと、大阪府内の大和川流域では洪水は発生していません。江戸幕府は家康の時代から利根川、矢作川、渡良瀬川などの瀬替え(水路変更)が行なわれ、田畑も増え、米も増産され、江戸時代の最初の100年間で人口が約2.5倍になったとされており、欧米では人口が増えるのは18世紀後半からなのでこの点でも日本が世界に先駆けています。

     江戸幕府は立派な治水事業を行なったと思います。(ただ、大和川の瀬替え工事に関しては、完成後、大和川の運ぶ土砂が堺の港を埋めて水深の浅くなった堺港は30年後くらいには大型の船が停泊できなくなり、戦国時代には大いに栄えた国際港の地位を失いました)。

  また、5世紀初頭に難波(大阪)の高津宮に遷都した仁徳天皇は、大和川水系の関連する河内平野の水害を防ぐために難波の堀江の開削と茨田堤(大阪府寝屋川市付近)の築造を行ったことが『日本書紀』に記されています。当時としては大工事で巨額の費用がかかったはずです。仁徳天皇は民の家々に煙が立ち上っていないことを見て、3年間租税を免除された天皇として有名です。

   5世紀の仁徳天皇の時代も江戸幕府の時代も治水事業においては民のために巨額の資金を投じて「経世済民(世を治め民を救う)」の政治を行なっていました。

  が、21世紀に入った現在の政治は、コロナ戦争の惨禍の中、消費税の減税(廃止)はせず、治水は、観測史上最大というようなほぼ嘘(fake)になる報道をNHKが流し、治水が不可能な印象を人々に与え、昔の政治家(仁徳天皇や江戸幕府)が民衆のために行なった大治水事業などなかったかのような顔をしています。また、仁徳天皇の実施した3年間の租税免除よりもはるかに簡単な消費税減税(廃止、または、停止)など(不可能と思い込み検討する能力に欠けるのか、別の思惑があるのか)あり得ないという顔をしています。

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以上が私のコメントである。

  「記録的」という言葉の使い方を気象庁は理解していないほど愚かなのか。“記録的”という言葉は“文献に記述された”という意味で用いる。アメダス(AMeDAS:Automated Meteorological Data Acquisition System:自動気象データ収集システム)によるここ30年前後の記録を“観測史上最大”という言葉を使って(無知による言葉の誤用、または故意、悪意による誤用によって)、人々に情報を伝達することは言葉だけの問題ではなく大きな実害をもたらす。「“観測史上最大”なら今回の災害の被害は仕方がない」というような気持ちを人々にいだかせ、その裏に隠れているかもしれない“無理な太陽光発電装置(ソーラーパネル)の設置”や“無理で危険な宅地造成”を隠してしまう可能性がある。

  どうしても使いたいなら「ここ20~40年間のアメダスの観測記録では最大」というように言うべきだ(アメダスだけの記録を使うのは日本の気象観測の歴史を抹殺する恥ずべき行為である。が、「ここ20~40年間のアメダスの観測記録では最大」とは恥ずかしくて言えないのかもしれない)。アメダスによる記録は利用しやすいのか、過去の観測記録、東京気象台が明治17年(1884年)に全国の天気予報を発表するようになった時からの記録を含めるべきで、戦前の記録さえ含めていないものを出してきて“観測史上最大”というのは日本語の言葉の運用を知らない愚か者か、視聴者にはこれくらいのゴマカシが通用すると考える傲慢な人間かのどちらかだろう。どちらの行為も私に言わせれば“無知=バカ”である。

 アメダスによる記録も、気象情報収集測定機器の設置されている周辺だけに通用するもので100メートルも設置場所を離れたら大きく数値はことなる可能性がある。つまり、雨量などの気象情報は「だいたいそのくらい」を表すものである。明治時代の気象観測所の記録とアメダスの記録は比較できないものと気象庁の人間は考えているのだろうか。それとも、その記録を引き出す(電子化記録にする)ことが面倒でしていないのだろうか。“降雨量”などというものは“0.001ミリメートル”の精度など要求されるものではなく(そのような事をするのは無意味)、その測定地での平均雨量の目安である。機械的に把握した数値も人間の目によって捕捉した数値もある意味“大雑把”なものであるが、それで問題はないし、比較して利用すべきものである。もし、気象庁の人間がアメダスによって出てきた(精密な?)雨量と、明治時代に観測がはじまりアメダスの観測が始まる前の1970年代までの記録は「精度に差があり比較できない」と考えているとしたら愚か(バカ)にもほどがある。まさかそのようなことはないだろう(アメダスが全国各地に設置され観測が始まるのは1970年代後半であり、その後も新たに設置されている場所もあり、観測史上最大がここ30年の記録にも達しない場合があると思われる)

  国土交通省は気象庁を管轄する機関であり、国民の生命財産を守らなければならない。そのためにも昔の記録を含まない、せいぜいここ40年程度の観測記録だけを用いて「観測史上最大」というような嘘(fake)に近い情報を気象庁が流すのを止めさせる必要がある。法的には問題がなくとも実質的には嘘の情報を流すことは大問題だ。法的には問題がない(legally not incorrect)情報を政治家や政府機関やマスコミが流し、国民を誤った方向に導くならそれは大問題だ。不誠実で実害をもたらす情報は出させないようにする必要がある。

  明治時代などの記録と現在のアメダスの記録は比較すべきもので極めて有用であると考える。“記録的”というのなら、日本は5世紀くらいから確実な文献の記録が出てくる(「稲荷山鉄刀銘文」)。8世紀の前半には『日本書紀』が完成した。この国撰史書には、允恭天皇5年の条に「五年秋七月丙子朔己丑、地震」とあり、史書に初めて「地震」の記述が出てくる。允恭天皇の治世は、雄略天皇の即位年を471年とする私の説と“安本年代論”に基づいて算出すると441年~468年となり、その5年は445年になる。年縞などの年代測定法によって(私の推定した)この445年の地震の痕跡は発見できないものであろうか。

 天文学の記録としては藤原定家が『明月記』に過去の超新星の爆発(1054年、かに星雲がその残骸)を記述しており、その記録をもとに「かに星雲が超新星爆発の残骸である」ことが証明されている。日本では平安時代、鎌倉時代の貴族の日記などの“記録”から天文学の新発見が生まれることがある。

 また、長雨や洪水、台風の記述などの記録にもとづいて過去の被害の状況や現代との比較もできる。天文学だけではなく、気象学においてもアメダスのような短期間の記録を基にするのではなくもっと広く、過去の文献による「歴史文献気象学」のような学問も成立する可能性が高いように思うし、そのような研究をすすめている人たちもいるようである。高性能コンピュータの発達した現在、奈良・平安時代以降の文献の中の気象情報等を調査しそれを数値化し(大ざっぱなものでよいし気象の数値、雨量などは機械で計測しても大ざっぱにならざるを得ない)、現在に活用することは大切であり、これを学問化すべきだと私は考える。国土交通省や文科省は国民のために早急に取り組んでほしいものである。 (2021年7月11日記)

 



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