日本と世界の勇者への応援歌
前回の「サッチャーは米国の対日強硬策の黒幕か」と前々回「英語のはなし③“find”の用法」でサッチャー元英国首相が2000年に米国のフーバー研究所で行なった演説の中に引用したロングフェローの詩「The Building of the Ship (船の建造)」という詩の一節を取り上げて、私自身の訳も示し、それを応用して(本歌取りして)日本と日本人への応援歌としての詩を書きました。
今回のブログでは、その詩にさらに第三番を書き加え、“世界の勇者”への応援歌としたいと思います。
永井津記夫
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(1)
Sail on, O Ship of Japan!
Sail on, O Ship of the Sun, brilliant and gallant!
Sail on, and be the Ship for the world!
The world with all its fears,
With all the hopes of future years,
Is hanging breathless on thy fate!
進航すすみゆけ、ああ、日本やまとなる船!
進航すすみゆけ、ああ、日ひの本もとの船、堂々の日本丸にほんまる!
進航すすみゆけ、世界よのひとの 船となれ!
世人よのひとは、かぎりなき 怖れをいだき、
未来への かぎりなき 希望をいだき、
すがっているぞ、 息ひそめ 汝なの命運に!
(2)
Rise up, O the brave of Japan!
Rise up, O the brave of the Sun, brilliant and valiant!
Rise up to be the brave for the world!
The world with all its tears,
With all the hopes of future years,
Is hanging breathless on your fate!
立ち上がれ、ああ、日本やまとの勇者!
立ち上がれ、ああ、日の本の勇者、堂々の勇者!
立ち上がり世界よのひとの 勇者となれ!
世界よのひとは、かぎりなき 涙を流し、
未来への かぎりなき 希望をいだき、
すがっているぞ、 息ひそめ 汝なの命運に!
(3) To the brave (men and women) of the world (世界の勇者へ):
Unite, O the brave of the world !
Unite , O the brave of the earth !
The brave and vigorous !
The brave and valorous !
Unite, and be the brave to save the world !
The whole world,
Surrounded by enmities and terrors recurring,
With all the hopes of the future coming,
With all the wishes for world peace
And no nuclear weapons,
Is hanging breathless on your fate !
Ah! the fate of the world is rested
On your shoulders broad and decided !
団結せよ、ああ、世界の勇者!
団結せよ、ああ、地球の戦士!
堂々の勇士ひと!
果断の戦士!
団結せよ、世界を救う 猛者つわものとなれ!
全世界よのひとは、
繰り返す 敵意とテロに さらされて、
未来への かぎりなき 希望をいだき、
世界の平和、 核無き時代ときを祈りつつ、
すがっているぞ、 息ひそめ 汝なの命運に!
ああ、世界よの命運は かかっているぞ、
汝なれの決意の 双肩に!
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※ロングフェローの詩“The Building of the Ship”のクライマックス(絶唱)部分を本歌取りする形で、日本と日本人への応援歌として前のブログに書いたのですが、さらに、世界の勇者(男女とも)への応援歌として三番目の詩を書き加えました。
詩のいちばん重要な要素はリズム(弱強格、強弱弱格など)と押韻ですが、日本人が英詩をつくる場合、これが一番むずかしい点です。押韻もできるだけするようにしましたが、うまく行かなかったところもあります。日本語の詩では五音、七音になるようにできるだけ配慮したつもりですが、そうはいかなかった部分もあります。
大学生のとき、「英詩概論」の講座を受講しました。担当は、ハーバード大学で米国の学生に「万葉集」を教えていた本田先生(たしか、当時、定年退職されて講師でした)でした。その時に、多少、英詩について勉強したのですが、自由に英語の詩を作るというわけには行きませんでした。また、当時、英作の授業で、昭和の流行歌を英語に翻訳するという授業がありました。「山の上に月が出た」という内容の歌でしたが(元の流行歌は何だったのか覚えていません)私は次のような英訳をしました(細かいところは抜けている部分があるかも知れません。語順が問題です)。
Above the mountain is rising the moon.
が、これが教室で大問題となりました。このような倒置が可能か、ということです。担当の林栄一教授は生徒からの質問には即答せず、外国人教授に聞いてみるということでした。「場所を示す副詞句+be動詞+主語」という倒置は可能(よく見かける倒置)ですから、私は進行形でもかまわない、と考えたのですが、同じ授業を受けていた学生の中には疑問に感じるものもいたのです。一週間後に「ファリシー先生 (当時、私たちの英会話の授業担当で、オックスフォードの大学院を出た米国人の客員教授) に聞いたところ、詩ならかまわない、ということでした。詩なら何でも(どんな語順でも) いける (これは、私の語順が間違いではないことの強調のための発言と推察) とおっしゃてました。」というのが林教授の返答でした。
現在、英語はSVO式言語と言われ、語順に自由度が少なく、固定しているが、古英語はそうではなかったのです。私は中世英語の講座も受講し、多少、古英語の勉強をしました。英語も古くは、ラテン語と同じように名詞に格変化があり、動詞も人称によって変化しました。私は大学時代に次の古英語を見て、心の底から驚きました。
ic hine sweorde swebban nylle.(Beowulf ベオウルフ…英国最古の英雄叙事詩、8世紀初頭の作)
I him a-sword-with slay not-will →I will not slay him with a sword.
私は 彼を 剣-で 殺さ ない-つもりだ。(『古代中世英語初歩』市川三喜著p. 45より)
(※“sweorde”は“sweord(剣…単数)”の対格ですので、語尾の“e”は日本語の「で」に相当。“nylle=ne+wille=not will”)
つまり、8世紀初頭に書かれたベオウルフの中にある上文は、日本語とまったく同じ語順です。古い英語は日本語と同じような語順でも話されていた場合もあったのです(動詞で終わる場合もあるが、日本語のように動詞で終わるのが原則ではなく、語順が自由というのが一般的学者の見解)。というより、世界中の言語はもともとは日本語と同じように動詞で終わっていた、とする研究があります。
『ユーラシア語族の可能性』(岸本通夫著1971年 神戸学術出版刊)には、ユーラシア大陸に分布する諸語、印欧語、ウラル語、アルタイ諸語は同じ祖語を持つという考えが示されています。英語やドイツ語やラテン語、ギリシア語などの印欧語も古くは動詞で終わっていたのではないか、とあります。岸本氏は、ラテン語やギリシア語も古い文献になるはど動詞で終わる文が多くなる、それに最古の印欧語とされるヒッタイト語は日本語と同様に動詞で終わる、と述べています。つまり、SVO文型の総元締めのような印欧語(インド・ヨーロッパ語)ですら、古くは動詞で終わっていたと考えて大きな間違いはないと私も考えています(印欧語に属するヒンディー語は動詞で終わります)。日本語、アイヌ語、朝鮮語、モンゴル語、トルコ語などはSOV型の動詞で終わる言語であり、この動詞で終わる言語が世界の諸言語で約半数を占め、最も多いのです。
現在の英語がなぜSVO型の言語に固定してしまったのか。この問いに対する私の答は簡単です。英国の歴史を見ると分かります。異言語を話す集団の衝突(=征服・支配)と交流の結果です。最初、ブリテン島ではケルト語を話す住民が住んでいましたが、5世紀にゲルマン民族の一部族のアングロ族が、ついでサクソン族がブリテン島に侵攻し、ケルト語を話す住民を駆逐しました。この時にゲルマン系統(古代ドイツ語)の言語であるアングロサクソン語(古代英語)とケルト語の接触が起こったと考えられます。そして、1066年にノルマン人の征服によって、征服者、つまり、支配層の話すフランス語と現地住民の話す英語の接触によって、“外国人”が話すのに面倒な動詞の屈折変化や名詞や形容詞の性(男・女・中)や語尾変化が消滅していき、おそらく、異言語話者同士での一番理解が簡単なSとVが最初に結びつく語順が確定していった、と思われます。そして、動詞の屈折変化や名詞や形容詞の語尾変化が消滅していった結果、孤立語に近い現在の英語ができあがった、と考えてよいと思います。
漢語(中国語)も英語と同様な変化が生じたと私は考えています(これは私の見解でこのような主張をする研究者は他にいないと思います)。中国の中原は“古代漢民族”と北方等の諸民族が接触し、闘争し、征服支配、回復支配を繰り返したたところと言っていいと思います。言語も英語の孤立語化を上まわり、孤立語の代表とされるまでに変化したと思われます。漢語は典型的な“孤立語”とされていますが、一人称代名詞の「我」と「吾」は英語の「I」と「me」のように元は代名詞の格変化を表していたとする研究者もいます。つまり、他民族(複数民族)の接触、交流、闘争、征服、支配のある地域では言語がSVO化しやすく、孤立語化しやすいのではないか、と私は考えています。ヨーロッパも中国の中原と同様に異民族の交錯するところで、接触、戦争、征服、支配の繰り返しの結果、言語のSVO型化が進んだと考えてよいのではないでしょうか。
私の結論は、現在孤立語化が進んでいる英語や孤立語とされる中国語(漢語)も、もともとは日本語と同じSOV型の言語で、複数民族(言葉が通じない部族)間での、接触、交流、闘争(戦争)、征服、支配の結果として、SOV型からSVO型の言語に変化した、ということです。
また、古英語の動詞には人称による屈折変化があり、ラテン語と同様に強調する場合を除けば、動詞に主格の人称代名詞(ego; icなど)をつける必要はなかったのです。そして、この動詞に人称代名詞を付けなかったという過去の歴史と、そこから生じる深層意識が、私が前のブログ(英語のはなし③)で取り上げた、
This cloth feels soft. この布地は柔らかく感じます。
という英文を生み出していると私は考えています。つまり、主格“I”を省略し、
This cloth I feels soft. この布地は (ワタシ) 柔らかく感じます。
という文を作り出しているのです。 つまり、“This cloth”は欧米の英文法家が考えているような“主格(主語S)”ではなく(主格Iは省略されています)、“主題(T)”なのだ、ということです。「主格(主語)と主題の違い」を明らかにした日本が世界に誇る文法家・三上章氏の見解をもっと世界に広めなければならないのに、その立場にいる人たちはそのように行動していないと思います。 2000年に自然科学の分野で、白川英樹氏が電気を通すプラスチックの発明でノーベル化学賞を受賞したのですが、翌年、日本化学会が特別賞を授与しようとしましたが白川氏は受賞を辞退(拒否)しました。これは、それまで日本化学会が白川氏の業績を評価せず、それまで賞を与えなかったのに、ノーベル賞を取ったとたんに賞を与えようとしたためでしょう。このようなことが学問をする人たちの間でよく起こります。これは日本人(日本人だけではなく、人間というほうが正確) の悪癖・嫉妬心がからんでいると思います。2014年に起こったSTAP細胞問題において小保方晴子氏に対する異様なほどの非難も、この嫉妬心に根ざしていると私は考えています。
ネットなどで、「なぜ、こんなに反日日本人が多いのでしょう」という質問がときどき出ていますが、それは日本人の嫉妬心とそれにからむイジメに起因する場合が多いのではないかと私は考えています(小保方晴子さんも周りの人間やマスコミ[日本人によって構成されています]に強い反感があるでしょう)。これも大問題ですが、ここで簡単に述べることは不可能で稿を改めたいと思います。