ユングとスピリチュアル

ユング心理学について。

「価値にかんして保守的」な人は、ミヒャエル・エンデ @Michael_Ende_jp

2021-04-10 19:32:22 | 心理学

まさしく「価値にかんして保守的」な人は、価値をまもるために、構造を変えようとするが、逆に「構造にかんして保守的」な人は、価値をまもると申し立ててはいるが、じっさいは価値をまさに破壊しているということだ。(注:この概念は対談相手エプラーの提出したもの) 『オリーブの森で語り合う』

 

今日では、価値を提案するほうが、ずっと進歩的だし、はるかに大きな勇気もいるんじゃないか。博物館のように過去の文化を回顧するという意味ではない。過去の文化の再現などできっこないからね。そうじゃなくて、新しい共同性を発見することが、ぜひとも必要だからなんだ。『オリーブの森で語り合う』

 

衝突はなくてはならないものだし、また、それを解決する可能性もなければならない。戦争によらない解決法がね。衝突のない人類なんて、呼吸をやめた人類みたいなもんだ。人間社会から衝突をなくせば、ゾンビーとかミイラとか自動装置の世界になってしまう。 『オリーブの森で語り合う』

 

想像力の問題は人間の自由の問題と切っても切り離せない。その存在の前提条件において、人間は決して自由ではないのだから。なぜなら、過去が形となったのが存在の前提条件なのだ。人間が自由なのは、自らの中から創造的に何かを生み出し、そうして自分の未来を形成することにおいてである。

 

芸術や文学のように、秘密や、多義性や、夢や、生の実質が問題となるところでは、合理主義は抑圧的にしか働きません。生のすべての領域に通用する普遍的な鍵などないのです。あるひとつの領域において判断の基準となる原則を、他のすべての領域に適用するなんて、到底許せないことです。

 

私は決して合理主義に反対しているわけではありません。それは、昔からいつも繰り返される誤解です。私が反対しているのは、その間違った利用に対してだけなのです。

 

価値は自ずから存在するものではありません。いわば生まれつきのものでも自明のものでもありません。存在する為には価値は生み出され常に更新されねばなりません。社会批判というものは、共通の価値をつまり人類の価値を前提とします。この価値を常に新しく生みだすことこそ、詩人が負う課題なのです。

 

本当の芸術は、耐えられないほどの悪や罪を描きます。悲劇の名作なんか、本当に耐え難いものです。でも、それが舞台という魔術的な次元に移しかえられることによって、ホメオパシー的方法で観客の中に逆方向の力を呼び覚まします。観客をかえって健康にしてくれる力です。それが芸術の秘密です。

 

ぼくは、もはや冒険心が存在しない、委縮した人間になることは全く魅力のない目標だという立場だ。まさに冒険への欲求とは、人間の生命のパトスに属する何か、人間が望みもし、必要ともする何かなんだ。この冒険心は、ちょうど安全思考によって全体的に停滞した世界には存在しないんだ。『オリーブ』


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