2021年3月4日【第10回】ユングスタディ報告
今回は『分析心理学セミナー』第13回を取り上げました。
テキストはまず、とあるアメリカ人男性画家による絵の解釈から始まります。ユングはその絵の連作を、超越機能の働き、すなわち対立するものどうしの戦いを一つに統合して解決するプロセスとして読み解きます。その過程の中に現れてきた「魂のトリ」は、助けとなる本能的傾向を表すイメージであり、動物でありながら動物を超えた、神のような人間以上の存在です。
続いてユングは、画家に見られる東洋からの影響は、アメリカ人心理の特徴であるとします。プリミティヴなものに対して、南アメリカのラテン系の人々はそれを取り入れ、結果として意識の優位性を失いますが、意識と無意識との分裂には無縁でした。対して、北アメリカのアングロ・サクソン系の人々は、意識的には拒否しつつも無意識の中でプリミティヴな水準へと沈んでいった、とユングは言います。これは宗教的には、カトリックとプロテスタントとの相違についてのユングの議論に重なっていく内容です。
またユングは、前回から引き続き、「無意識は意識に対しての補償の役割を果たすだけでなく、それ自身の内でバランスを示す」という見方に触れますが、今回はここに、それは「無意識が適切に作用している場合」のみという条件を付け加えます。無意識の機能の調子が狂うのは、意識に属すべきもの・意識の決断を必要とするものを無意識に担わせるからであって、これを意識へと取り戻せば無意識の機能は改善します。いわゆる古代の秘儀も、これを助けるものでありました。
さらには、互いに補償的な関係を持つものには、個別単位の中にも同じバランスの原理を辿っていくことが可能だ、という指摘もなされます。例として挙げられるのは男性と女性の関係で、完全な生を得るためには補償としての他方の性を必要とする、とされます。
最後にユングは、アニマと老賢者を理解するための図示を行い、次回以降に続く一連の話を始めますが、ここでは意識的自我とペルソナについて説明がなされます。意識野は限りある場でしかなく、現実の世界との繋がりは、異性像を通してのみ生じます。またペルソナは、他者との関係性の仕組みによって作られる殻であって、自分が何者であるかは他者への影響から学んでいくしかない、とユングは述べます。