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問題解決の日

2014-07-22 23:30:16 | 記録
 2014年7月22日(火)

 昨日の日記に、「ウグイスは、笹竹の繁茂する所で、囀り、いつも思うのだが、高山には雌の生息数が少ないのだろうか。」と書いたが勘違いのように思う。ウグイスは、竹やぶなどに巣をかける。秋田市の高清水公園に復元されている「国指定史跡 秋田城跡」の国内唯一の復元「水洗厠跡」のある付近の雨池には、蘆や蒲が繁茂していてヨシキリがよく啼いている。ヨシキリは巣にいるヒナを守るため、近づいたものに警告あるいは縄張りへの侵入を阻止するために啼いているのだ。このことに気づいたので、月山八合目の笹竹の繁茂する所でウグイスが泣き叫んでいたのは、縄張りへの侵入者への警告だったのだ。
 また、八合目に至る道すがら最も多く目にしたのは、ノリウツギ、イワガラミ、ツルアジサイ、ヤマブキショウマ、シシウド、オオハナウド、ヘラオオバコ、シロツメグサなどである。

 羽黒山の出羽三山神社参集殿前の鏡池には、一面の河骨が緑の葉の中から濃い黄色の花が顔を除かせ、池の縁から蛙の大きな鳴き声が聞こえた。参集殿の左手に蜂子神社、さらに左手に厳島神社、右手には末社が連なっている。

 4月20日(日)の「縁”上川名」に参加するため4月18日(金)に美容院に行った後、5月6日に火傷をし、治療が一進一退で坑アレルギー薬を服用し続けているので、髪の手入れがおろそかになっていた。今日は、相談して今後どうしたら良いかを決めようと美容院に行った。取りあえずの解決策を決めて、様子を見ることになった。何となく安堵!!

 夕方、昨日、象潟の道の駅「ねむの丘」で買った「パープルトウガラシ・ブラックパール」の鉢換えをした。一年草なので冬越しは無理だと思うが、伸びすぎた茎をピンチして、小さく育てることができる。気になっていペチュニアの茎をピンチした。

 NHKプレミアムで昨日訪れた「世界一のクラゲの殿堂!加茂水族館」ON AIR これまでの苦労と新水族館開館と指示されて入館者増を記録している喜びが伝わってきた。
 水族館に至る海岸線には、漁協、水産高校、水産試験場、レインボービーチが連なっていて、海と共に生きる人々の熱気が伝わってくる。 

鶴岡市立加茂水族館、庄内砂丘メロン、蜂子神社御開扉、月山八合目への旅

2014-07-22 01:18:12 | 記録
2014年7月21日(月)海の日
 今日は、山形県へ旅した。

 鶴岡市立加茂水族館は世界一のクラゲ水族館。ギネスブックに登録され、年中無休9:00~17:00(夏休み18:00)の韓の入館者は鰻上りで、昨日は10万人が訪れた。入館すると川の生物そして海の生物が展示され、海の中から見るように設計されている展示槽を、展示解説板をみながら進むとクラゲの展示槽へ。展示している魚もクラゲも優雅な毎日を過ごしているように見える。小さなクラゲは、ゆらゆら発光しながら海水中を舞っているようだ。最も数多く飼育されているミズクラゲは、肉食のクラゲの食糧でもある。海の食物連鎖も展示されているのだ。
 私たちの入館は、10時ちょっと前だった。観光バスには、退館時間にバス停から乗車出来る工夫がされ、乗用車には第二駐車場まで用意され、館までのシャトルバスを利用出来る。路線バスは、湯野浜温泉行き:JR鶴岡駅より約30分「加茂水族館」・油戸行き:JR鶴岡駅より約30分「加茂水族館」
・鶴岡観光ぐるっとバス:JR鶴岡駅より約25~60分「加茂水族館」があり、アクセスも充実している。しかし、個人で入館するには、各種の待ち時間という試練が待ち受けている。約一時間後に退館した時には、水族館に向う乗用車の列が連なっていた。駐車と入場へ度の位の時間がかかるのか想像するのも苦しい程だ。

 昼食は、デザートのメロンの食べ放題とアムスメロン一個のお土産付き。こうした商売上手な接客も山形県らしい。

 明治以後、初の蜂子神社御開扉【蜂子皇子御尊像拝観】は、4月29日(火)~9月30日(火)まで。御開扉期間にお祓いを受けると小玉串(御守)を戴ける。蜂子皇子は、今日の出羽三山信仰の礎を築かれた第32代崇峻天皇の御子で聖徳太子の弟君である。明治の廃仏毀釈の折り僧形の蜂子皇子の御尊像を皆でお守りし、僧形(袈裟をまとい、右手に種籾を左手に独鈷を持つ)の御尊像を祀る蜂子神社を開扉し、初めて一般に開祖の御尊像を公開するのは、東日本大震災からの一日も早い復興を願ってのことである。これまで拝見していた掛軸の御尊像は、開山などのご苦労をなさったお姿、御開扉の御尊像は、穏やかな表情でゆったりとお座りになっていた。槍を頭に据えた二機の幡には、左に天叢雲剣(草薙剣)、右に八咫鏡と八尺瓊勾玉が掛けられていた。境内には、羽黒山東照宮、大山祇神社、稲荷神社などの諸社も…。

 月山八合目への急カーブの坂道は、すれ違いの運転技術が試されるような道路事情だった。路肩には沢山の植物群(シモツケ、トリアシショウマ、ミヤマイタドリ、ミヤマイラクサ、エゾアザミ、オカトラノオ)が、次々に群落で現れ、イチモンジチョウ、ヒョウモンチョウなどの蝶類が花の蜜を求めて舞っている。月山八合目の弥陀ヶ原では、タカネウスユキソウ、ハクサンボウフウ、ヨツバシオガマ、モウセンゴケ、ギボウシ、トキソウ、ウラジロヨウラク、ミヤマリンドウ、ゴゼンタチバナ、タカネニガナ(黄色と白)、コアジサイ、タカネトウチソウ、ニッコウキスゲなどと花が咲き終えたコバイケイソウ、イワカガミ、チングルマなどの花々の痕跡を見つけたが、ウソが雌雄で木道の傍や仕切りのロープに止まったり、草原で遊んだりしていた。ウソの姿を間近でみたのは、一昨年の大森山での二月の観察会以来のことだった。ウグイスは、笹竹の繁茂する所で、囀り、いつも思うのだが、高山には雌の生息数が少ないのだろうか。

 また、登りの時には気づかなかったのだが、雷に打たれて倒れた木や雪の重みで枝折れしたり倒れてしまっている木が沢山見られた。こうしたことは、自然の驚異を感じさせられる機会でもあるが、地面に倒れている様子がはっきり確認出来るのは、下草刈りなどの手入れが行き届いているからとも言えるだろう。

 好天に恵まれた心地よい山形の旅立った。鳥海山も月山もまだ雪渓が残っており、冬が厳しかったことが分かる。

弥生の銅鐸、修羅、熊野路と伊勢

2014-07-19 00:55:44 | 記録
2014年7月18日(金)6月下旬に南紀・伊勢を訪れたが、考古学上の新発見が相次いだことを踏まえて、現在と未来を考えてみたい。

謎のリングは弥生時代? 銅鐸とともに奈良の民家に保管 朝日新聞 塚本和人2014年6月3日16時24分 

 「奈良県大淀町の民家で、弥生中期とみられる銅鐸(どうたく)とともに、円筒形の棒に複数のリングがくっついた銅製品が見つかった。棒は、ベルのように銅鐸内部につるして触れあうことで音を鳴らす「舌(ぜつ)」、リングは舌と銅鐸をつなぐ「鎖」とみられるが、弥生時代の鎖はこれまで確認されておらず、研究者は注目している。
 奈良県桜井市の市纒向(まき 奈良県桜井市の市纒向(まきむく)学研究センターが研究紀要「纒向学研究第2号」で報告した。
 銅鐸は高さ37・5センチ、最大幅27センチ、重さ約2・9キロで、上部と片面がほぼ失われていた。斜めの格子文様と、連続する渦巻き文様が横帯の上下に分けて施された「横帯分割型」で、奈良県では初めて確認された。
 舌は長さ9・9センチ、太さ1・6センチ。鎖は長さ約15センチで、6個の縦長のリングをつないでいた。舌・鎖が銅鐸と同じ弥生のものかは不明だが、国内で舌が銅鐸とともに出土した例は4点しかなく、鎖状の製品は5~6世紀の古墳時代の副葬品(馬具や装身具)が最古とされる。
 いずれも民家の離れで箱の中に保管されてきたが、出土時期や場所は不明。ただ、付着した土の分析から大淀町周辺で出土した可能性が高いという。
 難波洋三・奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長(考古学)によると、横帯分割型は兵庫、岡山、香川など瀬戸内東部での出土が多く、それらは弥生中期終わりごろ(紀元前1~1世紀初めごろ)に高い技術力を持った工人集団の拠点だった可能性が強いという。
 中国大陸では殷王朝(前16~前11世紀)の時代から青銅製祭器などの取っ手にリングを付ける技術があった。難波さんは「瀬戸内東部が、(漢の武帝が置いた)朝鮮半島の楽浪郡などを通じて大陸と何らかの関係があり、技術が伝わっていたのかも」と推測する。
 石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)は「弥生時代なら布きれでも革でもよかったのに、なぜ鎖でつなごうとしたのか。そう思いつく技術や情報が瀬戸内東部にあった可能性を考えざるを得ない」と話す。
 橋本輝彦・市纒向学研究センター主任研究員は「瀬戸内東部で作られた銅鐸が大阪湾から和歌山、紀の川(吉野川)をさかのぼって伝わったのでは」とみる。(塚本和人)」


「まさか修羅が…」 昨年度も調査の現場、橿考研関係者驚き 奈良 産経新聞 7月4日(金)7時55分配信
 「橿考研が3日、橿原市石川町の県道建設予定地で出土したと発表した鎌倉~室町時代(13~14世紀)の運搬具「修羅(しゅら)」。考古資料として全国でこれまでに7例が確認されているが、県内で見つかったのは初めてだ。昨年度も同じ現場で調査を行っていた関係者らは「まさか修羅が出てくるとは思わなかった」と驚いた様子だった。

現場は近鉄橿原神宮前駅の近くで、周囲にはマンションが建ち並ぶ。今年度の発掘調査は4月から始まったが先月24日、地表下約2・5メートルの当時の川跡から、修羅の一部が突然姿を現した。最初に見えたのは、後ろの部分。掘り進めると前部の先端部が現れ、そこで初めて修羅とわかったという。

調査を担当する鈴木一議(かずよし)主任研究員は「これまで現場周辺で見つかっているのは弥生時代の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)や藤原宮の時代の建物跡。昨年度も同じ川跡を掘っていたが、まさか修羅が見つかるとは想定外だった」と話す。

昭和53年に大阪府藤井寺市の三ツ塚古墳の周濠で出土した修羅(全長8・8メートル)は全国的にも有名だ。出土から半年後、その修羅を復元し、巨石を運搬する再現実験が大和川の河川敷で行われた。その実験で使われた巨石(14トン)は寄贈を受け現在、橿考研付属博物館の敷地内に展示されている。

菅谷文則所長は「橿考研は修羅とは縁が深い。今回見つかった修羅も、未完成品だが形をとどめている素晴らしいものだ。中型で巨石というよりは建築工事などに使う木材を運ぶために作ろうとしたのだろう」と話している。」

 
 南紀の海岸に沿って、潮岬を経て勝浦に至った旅程で感じたことは、鳶が常に低空飛行していたこと。近大の養殖設備が点在していることやウミガメの産卵地があり、鳶の捕食対象になっているとのことだった。熊野路に至る旅程では、豪雨被害の爪痕が痛々しく残り、復旧作業が至る所で行なわれ、原風景を取り戻す努力が行なわれていた。大門坂、飛瀧神社、那智滝とわずかに残っている王子の道寄りに、八咫烏をシンボルにするサッカーの女子チームの優勝祈念の碑と女子選手たちの手形が印象的だった。

 大淀町の民家に保管されていた尖頭部が欠落し、左の鰭が残っていた銅鐸。舌と輪は同銅鐸のものか同定されていないが、大事に保管され良い状態で発見され、分析結果が待ちどうしい。
 発掘調査が何度も行われていたていた橿原市石川町の県道建設予定地で出土した修羅は、建築材の運搬用だったとのことだが、この地域で発掘される修羅の数を考えると、古代の巨大な材の運搬に工夫をこらした人々の営みが推察され、今日の技術革新に繋がる、常により使いやすくを追求していく心意気が感じられる。

今日も充実

2014-07-18 01:55:20 | 日記
2014年7月16日(水)
 今朝は、雨後の筍の如くあちこちににょきにょき伸びてきていた真竹を切った。黒竹の生け垣が奇麗になり始めたころに、隣家の真竹を一株分けていただいたのが始まりなのだが、今となっては、手の施しようもない程繁茂し、波板の仕切りを越えて伸び始めている。以前、花が咲いてもうお終いかと思ったのだが、ますます勢いを増している。
 
 日当りが悪く、枝振りが崩れてきたブルーベリーを植え替えた。調べてみたら関東以南に適した品種だった。一昨年大潟村で求めた者なのだが…

 夕方、「ゲストハウス ヴァレリアーノ」での「モーツアルト広場」の第18回サマーコンサートを聴きにいった。山形大学地域教育文化学部音楽芸術コースを卒業なさった方々の多くが参画している。昔、特設音楽科という名称で、弟の小学校の同級生が毎週師事している先生の指導を受けていて、大変な苦労をして入学したことを覚えている。当時は、仙台に指導を受けるべき先生はいなかったのと山大に入学するための必須条件だったのかもしれない。小沢征爾さんの母は確か仙台出身と記憶しているが…

 6月28日(土)から毎週土曜日に開講義されている秋田県公文書館の「古文書解読講座」は、くずし字に入って難しい。くずし字解読辞典を引くのも、頭をひねって字ズラを見ながら推理して、予想される文字に行き着けば万歳なのだが、なかなかそうは問屋がおろさない。くずし字用例辞典を注文したが、まだ届かない。

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2014-07-15 01:33:37 | 今日の出来事
 今日、正確には2014年7月14日(月)のこと。皮膚科を受診した。5月6日(火)に、いろいろな山菜をゆでていたときのこと、あいこ(ミヤマイラクさの新芽)をゆで、水にとって灰汁抜きをしようとした時に、左手の甲の親指の下の部分にあいこの葉がふれた。水で冷やしたのだが、夕食の仕度が遅くなっていたこともあり、応急手当が充分ではなかったようだ。その時は、火傷をした時の応急手当は、いつも通りだったので、直ぐ治ると気に止めなかったが、化膿して悪化した。火傷は、跡がまだ消えていないが、薄皮がはり、治療は終わった。
 ところが、春先の土いじりの時期と重なっていたので、細菌感染したようで、全身に発疹ができた。再度、皮膚科を受診して、坑ヒスタミン剤と軟膏による治療をはじめたが、一進一退で、はかばかしくなく、数度に渡って皮膚科受診が続いている。今日は、状況に応じて以前処方された軟膏を塗ること、坑アレルギー薬を処方された。

 昨年、6度目と7度目のハチ刺されがあり、今春、エピペンの処方を受け、防護服を購入して、ハチ対策は充分に整えた。
 以上のような経過なので、園芸の作業時には、厚手のコーテイング手袋、長袖(半袖の時がは、腕カバー着用か、コーテイング手袋に腕カバーのついたもの)、長靴という出で立ちである。


 ここ数年、種をまき楽しんできた朝顔が、今年は発芽率が良くネットを張って、蔓の成長を待っている。窓辺に緑のカーテンをと考えていた時期には、日当りなどの条件が整のはず、うまく蔓が延びなかったので、今年は、玄関前にプランターや鉢を置いてみた。

 高いトレリスを立てた大鉢に、新規購入の紫のクレマチス(水仙2号)を植え込んだ。庭に地植えし自由に蔓を伸ばしているクレマチスには、フルーツパーゴラを設置した。また、フルーツパーゴラの下には、パッションフルーツを三株植えた。隣地に「古代史発見バスツアー」の折りに、道の駅で見つけた、アムスメロンとズッキーニも植えてみた。花が咲いているが、収穫はできるだろうか、楽しみだ。

 連作障害を避けるために場所を変えた胡瓜とトマトは、日当りや風通しが良くないようで昨年より発育状況が悪い。来年は、元の場所に植えようと思っている。

 さて、2014年7月14日(月)14:00~17:00「まちエコ大学」のプレイベントが開催された。本格活動は、9月からである。行政関係者が多かったのは、広報によるものか、事業化したい市町村がアイデアを求めているためか、と思った。
 いずれにしても、地域資源のこまめな活用によって、エネルギー自給筆を上げるための努力は、地域に暮らしていつものが恊働することが大事だ。