先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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1920年の労働者の状態 (読書メモー「日本労働年鑑」第2集/1921年版 大原社研編)

2021年08月14日 09時58分40秒 | 1920年の労働運動

写真・富士瓦斯紡績川崎工場1920年ごろ

1920年の労働者の状態 (読書メモー「日本労働年鑑」第2集/1921年版 大原社研編)

第四編 労働者状態

労働時間・8時間労働制
 10時間~12時間という長時間労働に対して、労働者は各地で8時間労働制獲得の運動が起こしたが、そのさきがけをしたものは、昨年1919年9月中旬の神戸市川崎造船所1万5千人の猛烈な闘いであった。それ以来我が国の大工場では、あるいは自発的にあるいは労働者の要求によって8時間制を採用するものが増えてはきた。今年1920年も続いて実施されているが、その中身は、名目上8時間制を採っていても、実際はほとんどが皆残業付8時間制というべきもので、しかもその残業は普通2時間付、なかには4時間付のものもある。ただ3月以来の恐慌の中、残業時間を短縮、あるいは廃して純然たる8時間制にする工場もでてきた。川崎造船所は昨年残業2時間付8時間制を採用したが、その後残業付を1時間減らして、残業1時間付8時間制に変えたが、今年に入って残業付を全部廃止した。

公休日の増加
 不況の影響は就業時間の短縮のみでなく、公休日の増加にもみられる。たとえば従来月1回の公休日や月の1日と15日の2回の公休日を毎日曜日及び祝日に変更する例もでてきた。

 これら資本家の本当の目的は労働時間の短縮により労働者への賃金支払いをカットすることにあった。もうかっている工場は従来以上の長時間労働なのはいうまでもない。

 例外的に2.3の工場が純粋な8時間制を採用している。森永製菓株式会社、島田硝子製造所、日本電話工業株式会社、発動機株式会社、日本石油会社などが単一な8時間制を実施した。東京市電も大争議のあと、時間制にして平均8時間労働となり、月3回の公休日を4回にした。8時間3交替制実施は住友伸銅所、住友鋳鋼所、旭硝子株式会社尼崎工場、日本紡績株式会社、鈴木製油工場などである。

 神戸製鋼所、東京瓦斯電気工業株式会社、芝浦製作所、明治製糖株式会社、キリンビール株式会社、日本光学工業株式会社、大阪鉄工所、川崎造船所、原田造船所、浅野造船所、藤永田造船所などは残業2時間から4時間付8時間制である。

賃下げ攻撃
 3月の恐慌以来、全国各地の炭坑、紡績会社、鉄工所などの工場で賃金の値下げ攻撃が吹き荒れた。

労働者の公休日
 労働者の公休日の多くは月2回か1回(1日と16日)であった。大阪では三分の一の商工業者が定休日を設けておらず、仕事の具合をみて不定期に月1.2回の休みを与えている。大祭日(祝日)と第1日曜と第3日曜を公休とするもの、1日と15日を定休日とするもの、1日だけを定休日とするもの、15日だけを定休日とする工場や商店などである。

第五編 失業問題
 本年1920年3月の株式の暴落を導火線とした戦後恐慌に陥り、各工場の閉鎖・休業、縮小は全国に頻発し、実に多くの労働者が失業の憂き目に遭遇し、まことに惨憺たる状況になった。・・・現政府が恐慌来の声を聞くや真っ先に資本家の救済に急ぎ、生死の境に苦しむ失業労働者の救済は二の次であった。また事業主が「残念ごめんね」と簡単に労働者を平気で解雇することさえ起きている。

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最後に、
 今回の第2集の「第四編 労働者状態」のp100において、1919年当時の韓国国内における朝鮮人労働者の状態に対する日本朝鮮総督府が発表した答申が紹介されているので、露骨な朝鮮人蔑視にあふれたその内容をできるだけそのまま紹介したい。日本国内では、「8時間労働制」は大きな流れとなり、大資本の多くも表向きは8時間労働制を認めざるを得ない時期であり、また女性労働者や児童労働者への酷使や規制を求めて大きな労働争議も頻発し、世間も大いにそれを支持していた。勿論、国会や世界の動きもある。にもかかわらず、1910年の韓国併合いらい日本が進出して作った工場1350ヵ所、日本朝鮮総督府は、その朝鮮人労働者の賃金が日本人と比べて著しく差別され、低賃金であることは堂々と認めながら、それは朝鮮人労働者の技術・知識が未熟に原因があり、彼らが労働時間に対してもルーズだから、今8時間労働制の導入すれば逆に朝鮮人労働者の賃金が下がるので、8時間労働制の採用はすべきでないと断言までする。

 また、当時日本国内では紡績女性労働者などの大ストライキが頻発し、女性労働者への深夜労働などの酷使、児童労働者への虐待なども問題となっていた。ところが日本朝鮮総督府は、韓国国内の女性労働に対しては「心配はない」とし、児童労働には「最も簡単な仕事についているので保険上も教育上も危惧・懸念する事はないばかりか、これら児童は家が貧しいので収入を得て一家の生計に寄与しているので、これを禁止または制限すると生活を脅迫するだけでなく、ひいては家族離散し無宿浮浪の徒を出すことになる。疲弊した民力を発展させよとしている現在の過渡期においては児童労働もやむを得ない。幼年男女工の人数は大正6年(1917年)末において3804人なり。」と言うのだ。

 8時間労働制にしても、女性労働、児童労働の問題にしても、本国日本政府ですら本音はどうあれ、こんな断言をしていない。なんと怖ろしい露骨な朝鮮人蔑視による思想・植民地政策でしょうか。
以下紹介します。

朝鮮労働者の状態(1919年10月朝鮮総督府が発表した答申の概略)p100

労働者失業の防止及失業者の保護
 中流以上の朝鮮人の家庭には遊食の徒はなはだ多く、労働を賤しむ風習によりその家族及零落した親戚らがこれに寄食するため扶養者はその多いをもって誇りとしている。されば朝鮮の現状は失業者を顧慮せんよりは、これら遊食の徒を導いて労働に従わせ生産能力を増進し生活を向上させることが急務である。
(イ)労働時間
 朝鮮は最近10年前までは、経済状態特に幼稚なりしに加え一般に労働を賤しみ農民以外これに従事することを嫌う風習がある中で、併合以来暫時労働事業に努めた結果、大正6年(1917年)には工場1350ヵ所、労働人口は3万5千189人の多数となった。運輸労働者を加えると約8万人を数える。この労働に従事する朝鮮人は各種労働の経験がなく、また技術的知識も欠如しているため内地(日本)人や中国人と比べ劣り賃金に著しい格差がある。また、労働時間に対する責任観念に乏しく規律勤勉の精神が欠けている。・・・このような状態で労働時間制限制度を採用すると賃金の引き下げを行うこととなり、その結果かえって労働者の生活を困難にさせる。だから現在の民度においては労働時間制度は当分採用することはできず、教育の効果により向上を促し労働に対する自覚がでるまでは、これを延期する必要がある。
(ロ)女子労働
併合以前は中流以上の婦人は他人に面接するを忌み嫌い家庭に蟄居して外には出ない。これの労働を勧奨することは男性より難事であるが、官憲の監励と時世により目覚めるものが徐々にその数を増やし、大正6年末には7210人に到り、そのうち3918人は精白米の中の雑物を除去する簡単な作業に従事している。衛生上も懸念するものなし。
(ハ)幼年男女工
 主に煙草製造の最も簡単な仕事についているので保険上も教育上も危惧・懸念する事はないばかりか、これら児童は家が貧しいので収入を得て一家の生計に寄与しているので、これを禁止または制限すると生活を脅迫するだけでなく、ひいては家族離散し無宿浮浪の徒を出すことになる。疲弊した民力を発展させよとしている現在の過渡期においては児童労働もやむを得ない。幼年男女工の人数は大正6年(1917年)末において3804人なり。」

朝鮮における工場労働者の年齢と労働時間調べ
 1919年1月朝鮮総督府が調べた朝鮮下の電気、煙草、硝子、印刷、染色、木材、鉄鉱などの約70の工場労働者の年齢と労働時間の調査結果。三井物産、三菱、鈴木商店関係の工場もある。約70の工場の平均労働時間は10時間から12時間。多くの工場には11歳、12歳などの最小年齢労働者がいて、釜山煙草株式会社では男子7歳、新井精米所では女子9歳の記録がある。



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