よく
こどもと寿命の話をします
いつまで
生きることができるのか?
わからない。
明日は我が身のこの世の中。
息子は
よく
遺書を書くように進めます。
私の意思を尊重した供養をしたい。
と
言ってくれます。
ありがたいことです。
今日は
少しいつもと違う会話になり
もしも
の
話になりました。
もしも、
今よりも上手く物事が運び
誰にも気にせず生活をし
遊びや
旅行も沢山でき
その
行き先にも
手軽に行くことができ
お金にも困らず
笑って
暮らせる日々がきたら?
楽しむだけの日々だとした?
あーー
未練のこるのかもねー
もう、ちょっと、人間楽しみたかった
これが、
未練か!
なんて
思いながら
旅たつのかもね
と、その前に
もっと、楽しめば良かったー
と、
悔しがるかもね。
なんて事を話してました。
いつか訪れる
死
というもの
誰しもが経験をします。
離れてしまう、寂しさも
別れという哀しみも
きっと、
生きている人間の方が
諦めきれない感情をもちます。
死んだ側は
どうしようもないので
受け入れる以外の答えはありません。
必ず
訪れる 死
人は悲しみのどん底や
辛いときには
その瞬間が
早く訪れる事を願います。
やりとげて、もう、いつ死んでもいい。
なんて
思うこともあります。
病気で闘っている人の方が
1日でも長く。
と、
願い募ることもあります。
自分の
死期がどのように訪れるのか?
それは
誰も知りません。
ただ、
その日を
その日が来たときに
人として楽しかったなぁ
名残おしいなぁ
と
思えるほどの人生なら
生きてきて本望だとおもいます。
そのような
少し名残おしいなぁ
と思える
人生。を作り上げましょう
地球への感謝をお忘れなく