餓鬼
今までに
餓鬼をみたことが
2度あります
一度目は
飢えではなく
愛情や求める感情を
食べ物で補っていたこどもたちに
ついていました
二度目は
餓死に近い状態で他界し
飢えに対する
感情をもったまま亡くなった方
を
みたときに
餓鬼の存在と接触しました
餓鬼の存在をみると
人の本質の部分に対する飢え
だと感じました。
餓鬼道へ行く人はどんな人か?
と、気になり
調べてみました
その中の1つのお話が
水が欲しいと
喉の渇きに苦しむ人がいました
ある家の甕には
水がいっぱいに入っていました
水をください
と、求む人に
この水は
私の息子のものだから
あげるものは
一滴もない!
と、
水を恵むことはしませんでした。
さて、
このお話
どちらが
餓鬼道へ落ちたと思いますか?
水が飲めず餓死した人
水があるのに提供しなかった人
さて、
どちらが餓鬼道へ落ちたのか?
答えは
水をあげなかった人です
この話を読んだとき
人への情けは自分を助け
人への非情は自分を落とす
全ての行動は
全て戻ってくる
それは、生きている間の事だけでなく
死後の世界で足りれば
死後の世界で
足りなければ
来世までも持ち越し
もしくは
仕組みが別にもあるかもしれません
ですが、
行いとして
絶対的にイーブン
行いは返ってくる
他人への情けに損得はありません。
他人に対する行動は
明日は我が身で
返ってくる
例えば、
苦手、嫌な人、が居たとして
文句、愚痴、喧嘩口調
になる
それが
返ってくるとなると
なんで?
なんであの人の為に嫌な思いをして
それが
自分に返ってくるのはあり得ない!
理不尽だ!
と、思われるかもしれません
だとすれば、
考え方をかえる
その人の人生は
その人のものだから
理解できない行動や発言に対して
無理に
憶測、推測、で
色々人を判断しない
考えられない行動の裏には
その人の未熟さが隠れています。
ソコをツツイテばかりいると
自分の未熟さを
誰かに
つつかれる場面がある
そんな形で返ってきます。
物事や行動、発言が
ダイレクトに返ってくるわけではなく
それに基づく核心的な形でかえってきます
では、
今までに
やってきた事が返ってくる
と、なると
怖さ、恐怖がでる人もいることでしょう
それに対する精算方法は
気がつく
ということです。
気がつくことで
反省してみたり
明日は我が身となる
と、考えると怖い
こんな考え方はダメなんだ
人の振り見て我が振り直せ
自分の側面にもあるかもしれない
気がつかないうちに
他人への配慮がかけてたな
等々
気がつく
それで、
物事はリセットのように状態になります。
よくないのは
過去の自分の行動や
過ち
謝り
に対して
見て見ぬふりすることです。
反省は
痛みを覚えます
反省は
見たくない感情に
逃げたくもなります。
ですが、
意外と
乗り越えると
爽快感さえ覚える出来事にかわります
苦しむのは
この世だけにしましょう
そして
この世でも
苦しみより喜びを覚えましょう
明日は我が身の人生は
喜び、笑顔が1つでも多くあることに
塗り替えていきましょう
地球への感謝をおわすれなく