「理解」
人を理解するとは、どういうことなのでしょう。
その人の過去を熟知し、現在を明確に把握し、将来を的確に見通しえるほどの正確さで相手を知ることでしょうか。
そういうことでもありましょう。
しかし、そのような正確さで関心を持たれても、果して理解されたと思うかといえば、もしそこに、誤りをゆるし、悲しみを慰めてくれるようなものがなければ、却って無理解さを味わうのではないでしょうか。
理解とは相手を肯定することです。
肯定の構えが正確な把握を理解へと深めるのです。
それがなければ正確さは誤解になります。
『神の風景』p160 藤木正三著
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