内海聡FBより転載
2023.03.06
ーーー転載開始ーーー
心療内科や精神科にかかっている患者の病名や、病気であるということそのものがウソっぱちであることが、少しずつ見えてきましたでしょうか?
たとえば不安や強迫の普遍性について。
これらの反応というのはむしろ人間として自然なことです。
予想不能な出来事が起きればパニックを起こして当たり前ですし、不安を感じるのも当たり前です。
「私の不安は人より大きいんです」と言う人がいたとして、それを証明するすべもありません。
それもまた主観であり病気と呼ぶ根拠が存在しません。
強迫観念だって同じであり、頑固、信念、執着、妄執、所詮似たような意味に置き換えることができます。
人間が知恵や知能を持っている以上、こだわりを持つのは必然でしかなく、そのこだわりが変わるときとは、大きすぎる外的変化が起きたときか、こだわりを持つ人が負けたときくらいしかないです。
人格障害という言葉もあります。
確かにそういう行動形態は存在するかもしれません。
しかしこれも言葉を変えることができます。
サイコパス、トラブルメーカー、自己中、わがまま、ナルシストなどなど。
これらが「良」といっているのではなく、これらを疾患だととらえることが間違いであると言っているのです。
気分変調もうつも同じです。
気分変調などというものはだれでも必ず存在しますし、働きすぎで疲れたり、社会的に絶望状態なら気力がなくなるのも必然です。
昔は休めば良かっただけなのに、それを許さぬ社会を放置しておいたまま、抗うつ薬もうつ病もないでしょう。
PTSDという病名もあります。
確かにその状態は存在するかもしれないが、そうするとやはりほぼすべての人間がPTSDになります。
トラウマを抱えていない人間など私は一人もみたことがありません。
戦争体験者、被災、犯罪被害、いじめ経験、パワハラ、DV、虐待その他諸々、日本にそれらを何一つ体験せず、ぬるぬると生きてきた人がどれくらいいるのでしょうか。
一人もいるとは思えないし、であれば基準に照らすとみな治療対象となってしまいます。
現在、統合失調症といわれる人も、なぜ病気と呼ばれないといけないのでしょう?
今やコンプレックスなどから被害妄想的になっているものも統合失調症です。
思考と幻聴が区別されていない人も多いです。
社会的に追い詰められている人も被害妄想的になるので当然統合失調症となります。
すべての病名など「便宜上」であるにすぎず、診断書を書く以上の意味はないということを理解しなければなりません。
簡単な例で、パワハラと職場問題で精神的不調になっている人が精神科を受診したとしましょう。
そのとき、ある精神科医は「適応障害」と診断し、ある精神科医は「抑うつ神経症」と診断し、ある精神科医は「うつ病」と診断し、ある精神科医は「パワハラによるPTSD」と診断します。
こんなものは医学とは呼べません。
医学は科学的検査に基づく根拠性によって、凡人でも同じ判断、一定のレベルに至るよう構成されていなければ成立しないのです。
なぜなら医学そのものがもともと傷害行為だからであり、それを正当化する手段がなくなってしまうからです。
精神医学はここからまったく外れている、というより外れきっています。
主観でデータを操作したり結果を操作できるものを科学とも医学とも言いません。
あるアメリカの研究では演技をさせて複数の患者を精神科に受診させましたが、その演技をした患者全員の診断は「統合失調症」でありました。
演技でも全員病気の診断になるのです。
そのばかばかしさがおわかりでしょうか?
人間の特徴そのものを記載しているのだから、だれもがどれかに当てはまって当たり前なのです。
このことは人間に苦しさや症状がないということを意味するわけではありません。
不安もうつ(気力低下)もこだわりも幻覚さえも、確かに存在する人はいます。
しかしそれはあくまでも症状であり、生理的な反応であり、だれにでも存在する苦しみであり、それは疾患でも障害でもなく医学によっては解決できないという理解が必要なのです。
これは人格の良し悪しレベルの問題ではなく、科学によって定義や証明さえできないものが治療に結びつくわけはないのです。
だから精神科にかかるということは、悪くなって当たり前でしかないわけです。
<大笑い! 精神医学より引用>
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