●浄土宗
●承安5年(1175年)、法然は43歳の時に、善導撰述の『観無量寿経疏』(『観経疏』)によって専修念仏の道に進み、叡山を下りて東山吉水に住み、念仏の教えをひろめた。この年が、浄土宗の立教開宗の年とされる。
その『観経疏』にある立教に至らしめた文言は、
一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近 念念不捨者是名正定之業 順彼佛願故
(意訳)一心に専ら弥陀の名を称えいつでも何処でも時間の短い長いに関係なく常にこれを念頭に置き継続する事が往生への道である。その理由は弥陀の本願に順ずるからである。
「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀仏に帰依(南無)しますの意。弥陀佛の選択によって、浄土宗における念仏はここから始まったと言っても過言ではない。
法然撰述の『選択本願念仏集』が、浄土宗の根本聖典となっており、教義の集大成となっている。
●承安5年(1175年)、法然は43歳の時に、善導撰述の『観無量寿経疏』(『観経疏』)によって専修念仏の道に進み、叡山を下りて東山吉水に住み、念仏の教えをひろめた。この年が、浄土宗の立教開宗の年とされる。
その『観経疏』にある立教に至らしめた文言は、
一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近 念念不捨者是名正定之業 順彼佛願故
(意訳)一心に専ら弥陀の名を称えいつでも何処でも時間の短い長いに関係なく常にこれを念頭に置き継続する事が往生への道である。その理由は弥陀の本願に順ずるからである。
「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀仏に帰依(南無)しますの意。弥陀佛の選択によって、浄土宗における念仏はここから始まったと言っても過言ではない。
法然撰述の『選択本願念仏集』が、浄土宗の根本聖典となっており、教義の集大成となっている。