【無限なるもの】
古代ギリシャのアナクシスマンドロス「紀元前610~564年」は、ミレトス派「イオニア学派」の自然哲学者だとされています。自然哲学とは、主に自然について観察し、それについて考察した哲学の一派のことです。アナクシスマンドロスは、最古の哲学者とされるタレスの弟子でした。天文学を始め、天球儀を作り日時計を発明したとされています。アナクシスマンドロスは、万物を観測不可能で、定義することが出来ないものだとし、それを無限なるもの「ト、アペイロン」と名付けました。無限なるものは、あらゆる事物を生み出す根源だとされています。しかし、それ自体は、何からも生み出されたものではありません。そのため、無限なるものは、時間的に不生不滅でした。不生不滅とは「生まれることもなく、消滅することもない」という意味です。無限なるものは、常に動いている永遠の運動だとされます。その運動には、最終的な終わりと、根源的な始源がありませんでした。
【アルケー】
無限なるものは、必然「運命」と呼ばれる万物に働く唯一の原理によって動かされているとされています。必然とは、ある一定の順序で、出来事が進行する行程のことです。あらゆる生成と消滅は、この必然に従って、起っています。無限なるものは、空間的にも、制約されない無際限のものです。そこから、個々の有限なものが生じる万物の根源「アルケー」だとされています。そのため、万物の種子と呼ばれました。この世のあらゆる事象は、そこから派生したものにすぎません。無限なるものは、特定の形を持たない無定形な原質とされています。
【限定されないもの】
無限なるものは、自身が、他の何者からも、制限されることがありません。しかし、その働きによって他の全てのものを操っています。それは、特定の元素のようなものではありません。無限なるものは、外側からは、観察することが出来ないとされています。そのため、性質的にこう言うものだとは限定されません。
「土、水、火、空気」という四元素は、相互に対立した性質を有しており、交互に変化していきます。生成は、要素が質的に変化したものではありません。相対するものが区別され、世界に現れたものです。アナクシスマンドロスは、 時間は、裁判官のようなものだとしました。その定め「指令」に従って、あらゆるものが生成されるからです。
【負い目】
アナクシスマンドロスは、生成を、永遠の存在「無限なるもの」からの負い目「不正」のようなものだとしました。個々の存在は、全体からすれば一種の罪のようなものです。そのため、死滅による解体によって、無限なるものに立ち帰ることで、贖罪されるべき存在だとしました。ただし、無限なるものは、それ自体は、壊れることがなく、消滅することもないとされています。その他の説では、アナクシスマンドロスは、世界が無数にあるものだとしたり、アトム的な極小なものは、存在しないとしました。
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