親子ケンカは父親が勝った。
1915年大正4年の第一回甲子園大会出場校を率いる監督。
1916年大正5年の第二回甲子園大会出場校の主軸に座るその息子。
その両校が夏の初戦で対戦する事となった福岡の予選。
対戦が決まってからの家庭での雰囲気は・・・・
まぁ間違いなく10月10日自分のお腹の中で育てた母親は無条件に息子に付くだろう。
ましてや父親は20数年前に出会った頃とはその面影すら・・・これ以上書くと叱られるのでここまでにするが・・・。
息子が父親を超えるチャンスは確かにあった。
5点差を追う5回裏、2点返しなお二死1.3塁、ここでバッターは3番打者の息子。
久留米球場にはこの親子対決を知っている観客から「おぉ~こりゃ楽しみばい」
そんな声がチラホラこぼれて来たが・・・・なんとダブルスチールを仕掛け・・・あえなく、と言うか楽々アウトでチャンスを潰す。
この試合、父を倒す唯一のチャンスをあっさりと潰す、いや簡単に手放してしまった。
このプレーで勝負あった。
試合はその後追加点を奪われ8-2で父親の勝利となった。
母校を応援する気持ちと母校を率いる監督の息子さんを応援したい気持ちが絡み合う、なんとも複雑な夏初戦だった。