福岡管区気象台が平年より10日ほど遅く梅雨明けを久留米の街に告げた今日、7月29日・・・それは偶然にも私の誕生日であった。
何の因果なんだろうか?ちょうど1年前の今日も偶然にも私の誕生日であり、2年前の今日も私の誕生日と言う偶然が重なった7月29日。
そして30年前の今日、福岡大会決勝戦、平和台球場でキラキラ輝く3年生の先輩達に精一杯の声援を送っていた。
優勝した瞬間・・・・甲子園を決めた瞬間の感動を超えるモノに未だ出逢えていない。
が、それも10分後には「かぁ~まだ3年と野球せないかんバイ。はよ引退してくれんやろうか!はよ俺たちの練習したかバイ!」そんな複雑な心境を覚えたのも30年前の今日だった。
ちなみにその年の甲子園は強烈だった。選抜でK・Kコンビ率いるPL学園をキリキリ舞いさせた伊野商業・渡辺投手、その伊野商業を高知大会で破った高知商の豪腕・中山投手、その控えが岡林投手と言う豪華さ、後に大魔神と呼ばれる東北高校・佐々木投手、その控え投手が葛西投手、のちにメジャーで活躍する長谷川投手を控えに追いやった東洋大姫路のサブマリン・豊田投手は誰よりも低いリリースポイントで打者を翻弄していた。
銚子商業の快速右腕・片平投手、宇部商業の田上投手も煌めいていた。
打者もPL清原選手とホームランで競い合った宇部商業・藤井選手、個人的には一番格好良いと思ったPL内匠選手、あの漢字なんて読むんだ?そんな話題になった審判の西大立目さん。
そんな中、我が久留米商業は一回戦で土砂降りの雨の中、秋田・能代商を4-0、二回戦では雲ひとつない快晴の甲子園で延岡商を2-0で退け、そして三回戦・・・カクテルライトに照らされた球場全体を甲西高校ファンが埋め尽くした完全アウェイ
「ここはホントに日本なのか?」そんな衝撃が襲った大会中の宿舎があった天理市。
そんな30年前のあの夏も今日と同じアツい夏だった。
つまり何が言いたいのか?前置きが長くなったが・・・・
「みなさん、たくさんの誕生メッセージありがとうございました」なのである。
今日言いたかったのはそれだけなんである。