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恐るべき才能

2017-01-22 15:22:39 | 本と雑誌

 最近乙一氏という作家に凝り始めた。彼は、今までの常識を覆す]ような人物である。

 「純文学は17歳の少年にも書けるがエンターテインメントは大人でなければ書けない」

 なるほどそうだなと思ってきた。ランボー、三島由紀夫、ラディゲ。誰しも天才と呼ばれた人たち。しかし、エンターティンメンターではなかった。

 しかし、乙一氏はなんと、17歳どころか、16歳だったとのこと。あの栗本薫様が彼をとても推したことにも妙に納得。

 彼のzooのなかにある「七つの部屋」なんて最高に怖いし、切ない。ケッチャムの「隣の家の少女」どころではない。姉という人物像をものすごく上手に描いている。只々とても巧い人なんだなあとため息をつくばかり。

 ラノベってどうしてラノベなんだろう。半村良氏もすごく面白い分野だったけど箔をつけるためか、どうしても直木賞をとる必要があったらしい。どうもその作品より賞をとってない作品のほうがむちゃくちゃ良かった気がする。もっとも別の賞はとってたのだろうけど。

 最近は多様なジャンルになって、一概に分けられない作品もある。自分は、なんてなにも知らないで、そのくせ趣味は読書だなんて言ってきたのだろう。


隣の家の少女

2016-12-30 22:14:00 | 本と雑誌

 ケッチャムの「隣の家の少女」を読んだ。最高に怖いホラーという触れ込みだったけれど、私にしてみればこれがホラーなのかな?と思ってしまう。だけど、ホラーの定義、サスペンスとスリラーの区分けなど人それぞれだろう。この区分けをしていた人の文を読み、「それは違うでしょう!」と思ったことがある。どうも、子ども時分に自分で決めた定義が絶対の位置を占めているようだ。

 かと言ってこの本が怖くなかったわけではない。確かに後を引きずるような物語ではある。

 しかし、もっと怖い凄惨な事件が日本ではあったのを思い出した。あの、女子高校生のドラム缶殺人事件だ。加害者が未成年と言うことで事件の本質はあまり報道されなかったようだ。当時の週刊誌はまるで被害者が遊び好きな女の娘のような書き方がしてあった。例にもれず被害者を貶めて加害者を援護するようなでっち上げだ。私は女性週刊誌しか読んでないけれど。しかし、たまたま検索してみたら、どんな小説よりも恐ろしいし、グロかった。女性週刊誌なんて酷いものだ。

 この事件の被害者は真面目そのもの、或いは普通の女の子だった。ただ、普通の娘よりも美人だっただろうけど。

 あまり綺麗でなくても女というだけで、若いと言うだけで援助交際をして楽してお小遣い稼ぎをしていたり、ガールズバーなんかで稼いでいる子が多いのに、被害者は美人でありながら地道なアルバイトをしていた。それだけでもとてもいい娘だと思う。近所にもとても美人の女高生がいたけど近くの小さなスーパーでバイトしていたっけ。だいたいは美人ほどそんなものらしい。

 加害者は服役しながら得意気に事件のことを喋っていたそうだが、か弱い女の子を嬲り殺してどうして得意になれるのだろう。反対に恥ずかしくて隠したいことなのに。プロの格闘家と戦って勝ったのなら自慢してもいいが…。そこらへんがやはり感性、或いはモラルの違いなのかもしれない。

 話は逸れるけれど、いじめで死んだ被害者がとても可愛いのにキモイなどと言われて、キモイと言っている者たちのほうが不細工なことが多い。(笑ってしまう)それを思うとよけいにイジメの理不尽さがうかがえる。元々筋の通ったイジメなどありえないのかもしれないが。

 ちなみに、今のところ私が一番怖かったホラーは小池真理子氏の「墓地を見おろす家」だった。

 

 

 

 

 

 


やっぱりグイーン・サーガ

2016-10-17 01:23:22 | 本と雑誌

 作者が没してからも2人の作家がリレー形式で続けているグイーン・サーガ。 段々と最初の頃の好きだったキャラクターが変貌を遂げてしまってあまり好きでなくなったりもしているが、また、次々と負けず劣らず魅力的な登場人物が出てくる。

 実のところイシュトバーンが私のお気に入りだったけれど最近はあまり好きでなくなった。しかし、その子のスーティーが新たなお気に入りになってしまった。スーティーの将来を見届けたいと思う反面早く決着をつけて欲しい気持ちも強い。

 そもそも物語を続けてもらうのは有難いが、2人がかりで執筆されている割には栗本氏の速筆と比べてスピードが遅い。この上、どんどん膨らませすぎて作者自身が物語に酔ってしまって更に延々と際限なく続いてしまわないことを願ってしまう。100巻の予定だったはずがどんどんと膨れ上がってきてそれでは終わらなくなってしまったが、もう少しシェイプアップしたなら、原作者が死ぬまでに完結できたのではと思い残念でならない。

 物語のなかで一番好きな場面はリンダとイシュトバーンの別れの場面。粗野でお行儀の悪い男の子に魅かれることは女の子の常。身分違いの叶わぬ初恋。だれもが若い時にそれに似た経験があるのではないかと思える。

 物語の世界に入り込んでしまったのは、このグイーン・サーガと半村良氏の「産霊山秘録」。

少し、話がそれるがグイーンのリロとトワイライト・サーガの王子とがなぜかイメージが重なって仕方ない。

 五代氏と宵野氏にお願い。物語を面白くしてもらうのはいいけど、延々と果てしなくしないで。やがてはピリオドをお願いしますね。


悪魔の黙示666

2013-05-27 20:32:00 | 本と雑誌

 悪魔の黙示666という本がある。もともとは聖書の黙示録を作者が解釈した本だが、近い将来人々の額や掌にその666の数字が刻み込まれ、それがない人は買い物もできず、何もできず、生きていけないことになるといった類の内容だったように思う。

 そんな、SFか、アニメか、オカルティックな世界が来るとは思わなかった。でも、現実にそうなってしまうと、人間とは不思議なものでで違和感をあまり感じない。

手の掌認証がそう。そのとき、ちらっと、「ああ、まるであの獣の数字を刻印したみたい。」と思ったっけ。

 あれほど、国民総背番号制にこぞって反対していたのにあっさりとなってしまいそうな現実。

そして、バーコードをやがては刻印され、(バーコードに書いてない3箇所は言わずとしれた

666)

 聖書の予言って当たるんだ!


今頃「妖星伝」

2009-05-25 11:14:47 | 本と雑誌

やっと、「妖星伝」の7巻を読むことができた。思えば長い年月だった。しかも、7巻は気がついた時には絶版になっている。いつの間に7巻が出版されていたのか、すっかり忘れ去っていた私。かくなるうえは図書館でと思い市内の図書館に昔6巻まで並べられていたのを思い出す。私が所蔵していたのは文庫本ではなく装丁された本。その図書館は3巻までは体裁のいい本だがあとの4,5,6巻は文庫本。しかし、慨に「妖星伝」は置いてない。ネットで所蔵してある図書館を調べると岡崎か醍醐の中央図書館しかない。友人に話したら家の近所なので明日仕事が休みなので行ってあげるとのこと。すぐに読みだした。

しかし、17年か20年かもしくはそれ以上経ってから呼んだので残念。とりあえずは宿題を片付けた子どもの気分。昔、7巻が出版されないので、行きつけの本屋の主人とやきもきしたものだ。今のように情報が簡単に手に入る時代ではない。主人は小説クラブに連載していたからと問い合わせもしてくれたようだ。「7巻はうちとしても、どうしてもいれたい本なのです。」

 私は半村良に怒っていたから、友人が「太陽の世界」を読んで薦めたけれど読まなかった。未完のままで次の作品に取り組んでいるなんて、もう2度と半村良のものは読まないわと決心したのだ。「産霊山秘録」以降とりあえず彼の作品は片っぱしから読んでいた。本屋の主人も「これが出てますよ。」と替わりにとでもいうように「太陽の世界」を出してきたけれど、「はあ、駄目ですか。」と笑ってそれ以上は薦めなかった。

 純文学は17歳の少年にでも書けるがエンターティンメントは大人にしか書けないと言われる。私としては後者は半村良を筆頭に平井和正、筒井康隆氏であるが、いずれにしても去る理由から小説の世界から足を遠ざけている。愛読者としては悲しい限りである。どうして、半村氏が7巻を出版できなかったかという理由を知って私の心の中の氏との和解は達せた。そればかりか、私の心は謝罪している。そして遅ればせながら氏の冥福を祈る今、もし転生があるなら、今度生まれ変わっても氏には小説家になってほしい。それとも小説家として私たちを充分楽しませてくれたからその役目を果たしたので、次は全く違った人生を歩むのかしら?いずれにしても次もきっと有意義な人生が待っているでしょう。