この頃、盗作疑惑。あるいは、作品が酷似していると言った話題をよく耳にする。でも、何億、何十億と人間がいる限り、考えることは限られてくる。人間としての感性、人間としての閃き。音楽だって半音を除けばたった7つの音で組み合わせるのだから。あの、才能ある八神純子のパープルタウンだったかな?どこか(多分米国)の人の曲と似ていると言われ結局彼女jの作品なのに折れてリメイクかなんかの形で曲を発売したんだったっけ。でも、すこし似ているかもしれないけど、私の感想では「無理やり似ていると思えば似ているのかな?」と言ったところだった。ちょうど、ある人は、ある人を似ていると思い、ある人は、「そうかな。それより、あっちの人に似ていると思うけど。」なんて世間にはよくあることがら。
と言うのは、私が、中学1年生の時に書いた詩が何年か後で読んだてゲーテの詩と酷似していたからだ。でも、それは、特別特殊な経験ではなく、若い多感な時期には経験することがらだから、そっくりでも仕方ないと思う。また、下手な小説を書いていたが、何年か経って知人から勧められて読んだ本の中のほんの7、8行の部分だったが、ヒロインの名前を除いてまるで、同じ語り口だった。それは、女の子が彼に別れを切り出す場面。本は、彼氏が彼氏に別れを切り出す場面。
勿論、どちらも海外の翻訳ものだから実際原文で読んだわけではないのでどこまで同じなのかは分からないけれど。自分がそんな経験をしているから、八神順子さんの気持ちは分かる。きっと、悔しかっただろうな。でも、本当に自分が作曲したのだから、形はどうでもいい。その曲を世にだしたかっただろうと思う。私が彼女でもそうしているだろう。
少し、違うかも知れないが、有森裕子さんが「自分で自分をほめてやりたい」と言った言葉が凄く有名になったけど、私たちはもっと古くにその言葉を別の人物が言ったことを覚えている。そう、あの張本勲氏だ。彼が、何千本だかの大記録を出し金字塔をうちたてたとき言った言葉だ。新聞でそれを読み私たちはげらげらと大笑いした。なんて面白いことを言う人だと。でも、あまり世間でその言葉は話題にならなかった。かと言って有森さんが真似をしたなんて思っていない。先日も主人が面白いことを言っていたが、その日にテレビで同じことを言っている人がいた。こんなように人間の考えることは同じようなことが多いというだけだ。
ちなみに私は張本氏があまり好きではない。以前は好きめだったが、フィギュアの世界選手権で真央ちゃんが金メダルをとったとき「1位と2位が出場していない」と言ったからだ。フィギュアの採点がおかしいのを張本氏は知らないのかな?本気で採点に値する選手ばかりだと思っているのかしら?、
それから、もう2,3年以上になるのかな。芥川賞作品に対して「2人称で書かれたのが珍しい」とか、「新しい試みだ」などと批評家が言っていた。はっきり言葉を覚えてないが、多分そんな意味のことだった。しかし、2人称小説は倉橋由美子氏が「パルタイ」でとうに書いている。当時はその2人称が凄く話題になったと言うのに。
書きだしたらきりがない。話題になるか、ならないか。世間がとうに忘れているか。それだけで、初めてのことになってしまうことも多い。