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自分の良い所を100

2018-05-08 11:29:57 | 日記・エッセイ・コラム

 誰かのブログか書評だか、引き寄せの法則などを成功させるためにまずブログに自分の良い所を100書くらしい。自分でよいところなんて考えてもせいぜい2,3ケだと思うのだが見本を見るとああ、なんだそんなことでいいのかと思う。つまり、自己肯定感を抱くためではないか。

 普通のことでも欠点でなければ長所と捉えるべきなのかな。。

 そんなわけで、私も自分の長所を書いてみる。

①犬、猫などの平凡な動物が好き。②肉を極力食べない。③自分が我慢しても夫には好きなものを食べさせる。④夫の身内にはできるだけのことをしようと考える。⑤夫と共通の趣味を持つように努力した。⑥時には夫の食べ残しも食べる。⑦一日に1回以上は夫を褒める。⑧今は亡くなったペット達に心の中で謝罪している。⑨亡くなった両親、弟にしてあげられなかったこと、気づかなかったことを心の中で謝っている。⑩疎遠になった友人の消息を知ろうと努力している。⑪本を読む。⑫夫にはスコッティ―を使用させ、私は一番安いトイレットペーパーと使い分けている。の⑬元同僚とフェイスブックやラインで繋がっている。(相手が嫌ってない場合)⑭送ってきたゲームのハートやクローバーはできるだけお返ししている。⑮入院中の知人には退屈しのぎになるように、回復に役立つような記事を抜粋して送る。⑯献立は夫を中心に考える。⑰何度も同じ話題をする夫に10回のうち1回ぐらいしか、それは前にも聞いたとは言わない。⑱出来る限り夫の体をマッサージしてあげる。⑲夫の苦痛を和らげるためにあるサイキック治療を施してあげる。⑳災害に対しての募金や物資を出来る範囲内で支援する。㉑世話になった人の感謝を忘れない。㉒目的達成のためにはあらゆる努力を惜しまない。㉓20代で中古物件の家を買えた。㉔断捨離よりも時にはMOOTAINAI精神を選ぶ。(自分に関して)㉕なるべく値引きしたものを自分用には購入する。㉖生前だが後のことを考えて墓を建てた。㉗常に自分より夫ファーストである。㉘行きたくない散歩も夫のために付き合う。㉙教養になるものを優先し、ためにならないものには極力金銭を使わない。㉚ある集会ではかならず少額ながらカンパをする気持ちでいる。㉛相手が世話をしてくれてなくてもそう思い違いしている場合は必要性がなければあえて訂正しない。㉜家の前を掃いた時近くも掃く。㉝私だけが知っている情報で夫の知らないことでショックを受けるようなことは口をつぐんでおく。㉞相手が特定の人に怒っている場合熱心に耳を傾ける。㉟一人暮らしの人の長電話は工夫しながら極力付き合う。㊱裕福でない人が無理をして送ってくれたものや運んでくれたものはそれに見合うだけの対価か品物で返す。㊲21日間のエクササイズ読み上げを続けている。㊳ボリューム音の高いテレビのかかっている部屋に入った時できるだけ耳栓をする。㊴狭い場所を占拠して家事の邪魔になるして夫だが、席を外した時に素早く掃除などして気を使わせないようにしている。㊵夫の故郷を愛している。㊶夫のスポーツに対する能力が落ちたことをあまり自覚させないに勘違いしたまま見守っている。㊷夫の血縁者に関して肯定的な意見を言うように心がけている。㊸他人が飼っているペットは可愛がる。㊹小さい子がいたずらしてもなるべく咎めない。㊺興味のないことでも相手が得意だったりすることは少しの間は共有する。㊻散歩中攻撃的になる犬にもなるべく動じないようにする。㊼レジに並んだ時単品の人には順番を譲ってあげる。㊽感謝の意を伝えられたらなるべく笑顔で返す。㊾新鮮なものを家族に食べさせるためにできるだけ買い物は毎日行くようにする。㊿面倒でもポイントを有効に利用する。

 とりあえず無理に思いついたのが50。まだまだ到達しない。残りは後日。


洪水

2017-12-24 16:23:18 | 日記・エッセイ・コラム

以前、J子さんだったっけ。彼女のエピソードをもう一つ。彼女は、アルジェリアかナイジェリアかは忘れたけれど、そこの友人たちに服を送っていた。勿論送料がかかるが全て自費。綺麗な子供服などを職場の人たちから集めていた。

 どうして友人かと言うと、一般的な機関に送ると上層部の人たちが取って末端にはとてもいかないらしいからだ。

 ある日、長崎で大きな水害があった。J子さんと、もう一人、R子さんが義援金を送ろうと話していたので、私も仲間に入れてもらうことになった。そこで、さて誰の名前で送ろうかと言う話になったので

「私の名前で送って。」と冗談めかして言うと、彼女たちは即座に「ああ、いいよ。」と返事した。

 結局は後日J子さんの知人たちも加わり、グループ化して匿名で送ることになったが、彼女たちの金額を見て驚いた。5千円、1万円が当たり前。一時は一番少ない1000円しか出さない私の名前で義援金を送ってもいいと彼女たちは言ったのだ。

 「ごめんね。1000円しか出さない私の名前にして、なんて言って。」とR子さんに言うと

「そんなこと、どうでもいい。私は九州出身だからしょっちゅう災害を見てるし、あってきてる。貴女は京都の人で災害なんか、あんまり知らないのに賛同してくれて。それがとても嬉しかったわ。」との答えが返ってきた。ちなみにこのR子さんは、ある種の絵で世界的に有名になっているらしい。

 私の周囲にはかって素晴らしい人たちがいたのだなあとしみじみ思う今日この頃。

 

 

 

 

 

 


マスコミまで敬語

2016-11-06 21:16:06 | 日記・エッセイ・コラム

 毎日夫人に掲載されている諏訪哲史氏のエッセイ。何気なく目を通していたが、やっぱりこの人ってすごいなあと思うことが多い。今月は宮沢賢治の「注文の多い料理店」を引用してあった。

 この「料理店…」は、読んでいてすごく変な気分になった覚えがある。それに、怖かった記憶もある。

 諏訪氏には共感できる部分が多い。

 同時に同じようなことを感じる人達がいるのを、最近gooのブログだったかで知った。それは、敬語に関してだ。

 私たちは社会人になって会社などに就職した際新人研修なんかで言葉の使い方を教育されたはずだ。

外部の人からの対応では、例え自分より偉い役職の人であっても「社長は只今席を外しております。」と敬語は使わない。何故なら、新入社員といえども社長とは内部の人間になるのだから。

 しかし、自民党の議員が総理のことを敬語で「なになにされてます。」「総理がこう言われてます。」などと敬語づくしなのを耳にすると思わず社会人としても常識を疑ってしまう。野党議員が言うなら多少分かるのだが。挙句にコメンテーターか評論家みたいな人、キャスターまでもが敬語を使っている。彼らは、いったいどんな学歴で学力だったのか。

 かって歴代の総理にこんな敬語漬けしていたことがあるだろうか?まるで絶対君主の怒りを恐れているどこかの国の広報や取り巻き議員のよう。でないと粛清されたりするのかしら?挙句にルールを変えて在任期間を伸ばすらしい。ますますもってどうも近くのあの国の偉い人を連想して仕方がない。ここは、日本ではないのか。

 皇族に敬語を減らして国民の下僕である総理に敬語を頻繁に使う。文系を軽んじているとますますみんなきちんとした言葉が使えなくなってくるだろうし、常識の尺度が分からなくなってくるだろう。 でもみんな国語力がなくなるのはこれからの国にとっては良いことなのかもしれない。

 道理で私もまともな文が書けなくなってきたようだ。

  

 

 

 


人が山を選ぶのではない

2014-10-04 10:10:38 | 日記・エッセイ・コラム

 昔祖父が木曽節をよく歌っていた。祖父は信仰心のある人だったので特にこの歌が気に入ってたのではないかと思う。幼い私にはおんたけさんが誰かの名前だと思ったり、中乗りさんが何かは分からなかったけれど質問してみようとは思わなかった。唯「夏でも寒い」と言う部分がすごく気になり、そのことは聞いて見た。祖父は本当だと言い、いかに凄い所かと説明した。よく考えてみると祖父は民謡なんてこれ以外に歌ったことはなかったけれど。

 まだ結婚する前に、夫と二人で木曽福島まで特急列車に乗り、夜遅くか、夜中だかに上高地行のバスを待っていた。そんな遅い時間なのに停留所はバスを待つ人であふれている。山ってものは、暗いうちから行動して夜明けを待つのも極普通のことだけど、当時の私には、それは珍しい光景だった。上高地行のバスしか来ないと思っていると御嶽行きのバスが先にやって来た。それを見て夫が「あのバス、御嶽山に行く。いいなあ。いいなあ」と凄く羨ましそうに言ったのを覚えてる。それなら最初から御嶽山にすればよかったのに……。

 ところで、御嶽山には苦しい思い出がある。蚊が多かったこと。急に寒気がして風邪のような症状になったこと。人目構わず草の茂みで倒れるように寝転がった。快復を待ったが可能性がないので頂上をあきらめて下山したが、駐車場まで降りた途端激しい下痢と頭痛に見舞われる。それが高山病だと分かったのはもう少し後のこと。

 数年経って、比較的アクセスし易く休暇もたくさんとらなくていいので再度挑戦した。でも、2度とも昔の噴火のことが心に引っかかってはいた。夫は「ああ、大丈夫。もう落ち着いたから」と嘘が本当か、調べたようなことを言っていた。

2度目は秋だった。沁みるような見事な紅葉が始まっていて、なんども大きなため息がでた。今度はなんとか踏破できると思っていたし、また、前回ダウンした場所に来てもあまり体調の崩れはなかった。けれど、今度は夫が珍しく調子がよくなかった。

「あそこまで行けば……。もうすぐそこなのに」

残念だが私たちはまた下山せざるをえなかった。その日、出会った中年のご夫婦の奥さんの方が、「仮に富士山に登った人でも、槍に登った人でもこの山は別で、どうしても頂上に立てない人がいるんです。この山はちょっと特別なんです」と言われた。「うちの主人もどちらかと言えばそのくちなのです」と付け加えて。

 山から戻って友人にそのことを話すと「人が山を選ぶんじゃない。山が人を選ぶってことよ」と彼女は言った。それが、御嶽山なんだと。そういえば若い時同僚の女の子がパンプスで上がったという。また別の同僚も小さい時になんども信仰目的で九州から祖母に連れられ登ったと言う。

 そんな訳で私たちは御嶽山に選んでもらえない種類の人間なのです。だけど、あの辺が大好きで冬はチャオやおんたけロープのスキー場に、春、夏、秋は 開田高原、美女高原、鈴蘭高原、、日和田高原、秋神、千間牧場など本当はあの辺に住みたいくらい。

 王滝村に泊まった時、宿の奥さんがとても親切で感じのいい人だったので大丈夫かなと気になってている。今度は土石流の心配もあるらしいから。以前も噴火で王滝村には随分と被害があったというのに。

 山で会う人はみな善い人ばかりなのに、このたび、多くの素晴らしい人達が尊い命を失くされた。もし、その人達全員が無事戻って来られるのなら自分が変わってあげてもいいと思ってる人も結構多いのではないかしら。直接このたび関係なくても、山を愛する人達は深い悲しみを共有している。

 

 


民営化

2009-07-16 23:16:19 | 日記・エッセイ・コラム

私の幼い頃、父は会社を起ちあげるにあたって、とても苦労をしていたのだろうなとこの頃になってよくわかる。実際自分があのように起業するなら、とても出来っこないとつくづく感じる今日この頃。幼いときだから親の苦労なんて分からない。いつでもねだったら魔法の箱からなんでも出てくるような気持だった。箱から出てこないときはいつも母親が待ったをかけているため。

 そんな私だから、簡単に民営化になって、なんら出資しない人が、たなぼた式に社長に就任してしまうということが、腑におちない。詳しいことは分からないけど、会社を作り上げるためにはどれだけの資金繰りが必要なことか。たかだか、町の小さな中小企業でさえも・・・。しかるになんら苦労もせずにちゃっかり社長に収まり(少なくとも私にはそう思える)挙句に常識外れの値段で物件を売却してしまうようなことになるなんて。それも、自分に痛みがないから好き放題できるのだ。もし、自分が社長になるために金の工面をしていたら、勿体なくてタダ同然の値段で取引出来ないに違いない。問題なのは、赤字を出さない経営が出来ないことではないのだろうか?どこが、民営化といえるのかしら?我々には、かってのNTTのように株の購入さえ出来ないというのに。もしかしたら、知らないだけかもしれないけど。

 今頃、私の親は偉かったんだなと感じる次第です。