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人が山を選ぶのではない

2014-10-04 10:10:38 | 日記・エッセイ・コラム

 昔祖父が木曽節をよく歌っていた。祖父は信仰心のある人だったので特にこの歌が気に入ってたのではないかと思う。幼い私にはおんたけさんが誰かの名前だと思ったり、中乗りさんが何かは分からなかったけれど質問してみようとは思わなかった。唯「夏でも寒い」と言う部分がすごく気になり、そのことは聞いて見た。祖父は本当だと言い、いかに凄い所かと説明した。よく考えてみると祖父は民謡なんてこれ以外に歌ったことはなかったけれど。

 まだ結婚する前に、夫と二人で木曽福島まで特急列車に乗り、夜遅くか、夜中だかに上高地行のバスを待っていた。そんな遅い時間なのに停留所はバスを待つ人であふれている。山ってものは、暗いうちから行動して夜明けを待つのも極普通のことだけど、当時の私には、それは珍しい光景だった。上高地行のバスしか来ないと思っていると御嶽行きのバスが先にやって来た。それを見て夫が「あのバス、御嶽山に行く。いいなあ。いいなあ」と凄く羨ましそうに言ったのを覚えてる。それなら最初から御嶽山にすればよかったのに……。

 ところで、御嶽山には苦しい思い出がある。蚊が多かったこと。急に寒気がして風邪のような症状になったこと。人目構わず草の茂みで倒れるように寝転がった。快復を待ったが可能性がないので頂上をあきらめて下山したが、駐車場まで降りた途端激しい下痢と頭痛に見舞われる。それが高山病だと分かったのはもう少し後のこと。

 数年経って、比較的アクセスし易く休暇もたくさんとらなくていいので再度挑戦した。でも、2度とも昔の噴火のことが心に引っかかってはいた。夫は「ああ、大丈夫。もう落ち着いたから」と嘘が本当か、調べたようなことを言っていた。

2度目は秋だった。沁みるような見事な紅葉が始まっていて、なんども大きなため息がでた。今度はなんとか踏破できると思っていたし、また、前回ダウンした場所に来てもあまり体調の崩れはなかった。けれど、今度は夫が珍しく調子がよくなかった。

「あそこまで行けば……。もうすぐそこなのに」

残念だが私たちはまた下山せざるをえなかった。その日、出会った中年のご夫婦の奥さんの方が、「仮に富士山に登った人でも、槍に登った人でもこの山は別で、どうしても頂上に立てない人がいるんです。この山はちょっと特別なんです」と言われた。「うちの主人もどちらかと言えばそのくちなのです」と付け加えて。

 山から戻って友人にそのことを話すと「人が山を選ぶんじゃない。山が人を選ぶってことよ」と彼女は言った。それが、御嶽山なんだと。そういえば若い時同僚の女の子がパンプスで上がったという。また別の同僚も小さい時になんども信仰目的で九州から祖母に連れられ登ったと言う。

 そんな訳で私たちは御嶽山に選んでもらえない種類の人間なのです。だけど、あの辺が大好きで冬はチャオやおんたけロープのスキー場に、春、夏、秋は 開田高原、美女高原、鈴蘭高原、、日和田高原、秋神、千間牧場など本当はあの辺に住みたいくらい。

 王滝村に泊まった時、宿の奥さんがとても親切で感じのいい人だったので大丈夫かなと気になってている。今度は土石流の心配もあるらしいから。以前も噴火で王滝村には随分と被害があったというのに。

 山で会う人はみな善い人ばかりなのに、このたび、多くの素晴らしい人達が尊い命を失くされた。もし、その人達全員が無事戻って来られるのなら自分が変わってあげてもいいと思ってる人も結構多いのではないかしら。直接このたび関係なくても、山を愛する人達は深い悲しみを共有している。