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迎賓館赤坂離宮 ~背伸びしすぎた明治という時代の生き証人

2018年08月31日 | 城・屋敷・歴史遺産

京都御所など国が所有・管理する皇室関連の施設の公開が、2016年から通年で行われるようになり、連日多くの外国人を含んだ観光客でにぎわいを見せています。迎賓館として国賓クラスの外国賓客の宿泊や晩餐に使われている赤坂離宮も、接遇に支障のない範囲で通年公開されています。

元々は1909(明治42)年に皇太子のための東宮御所として建設されました。近代日本の建築と文化力の粋を集めて建設された西洋式宮殿建築で、2009年には明治以降の文化財として初めて国宝に指定されました。

TVで見るのと実物とはやはり違います。


正面ゲートは観覧者出口

赤坂離宮は大正・昭和両天皇が皇太子時代に使いましたが、実際は両皇太子ともお気に召さなかったようです。豪華絢爛な西欧式の装飾や高温多湿に不向きな石造りに、落ち着きをお感じにならなかったのでしょうか。

戦後になって皇室から国有財産となり、国会図書館など国の施設として使用されていました。迎賓館は戦後、白金台の旧朝香宮邸(現:東京都庭園美術館)が使用されていましたが、戦後の経済成長に伴って外国の賓客が増え、手狭になります。

代わって建物が大きい赤坂離宮を改修して1974年から使用を始め、現在に至ります。最初の国賓は、アメリカの現職大統領として初めて来日したフォードで、迎えたのはロッキード事件で辞任する直前の首相・田中角栄でした。

その後、1990年代まではサミット(先進国首脳会議)の会場にも使われるなど、来日した外国の賓客をもてなす場として常に脚光を浴びていました。しかし2000年の沖縄を皮切りに、日本開催のサミット(現:G7)は地方で行われることが定着します。外交会合を首都以外の都市やリゾート地で行うのは21世紀になってからは世界的な傾向です。

2005年には京都迎賓館ができたこともあり、赤坂迎賓館の利用頻度は減少傾向が否めません。最近はTVニュースで赤坂迎賓館を目にすることが少なくなりました。しかしだからこそ通年公開も可能になったという解釈もできます。

【公式サイト】 参観案内

水曜日の定休日と接遇がある日は参観できません。事前予約してから参観することをおすすめします。事前予約に空きがあれば当日申し込みでも参観できますが、やはり不確実です。


建物裏側の噴水広場

参観は学習院初等科がある側の西門から入ります。まずは建物の裏側を見ることをおすすめします。好みはあるでしょうが、私は正面より裏側の方が、緑や水が目に入るため、建物が輝いて見えるので好きです。正面は石畳や石の壁だけで重厚感を強調した造りになっています。

南側に大きく開けた公園のような空間は、皇居東御苑のように大きな空の中に高層ビルが点在して見え、とても壮大な眺めです。自分が皇太子や皇太子妃になってこの空間を独り占めしているような錯覚が味わえます。賓客が回遊できるよう庭園も設けられており、東京の都心とは思えない静けさです。



室内は豪華絢爛の一言に尽きます。設計は明治の宮殿建築の第一人者で東京・京都・奈良の国立博物館の設計者でもある片山東熊(かたやまとうくま)です。設計当時は、日清戦争に勝利してロシアと大陸の権益を争い、「西洋に追いつき追い越せ」という国威が高揚していた時代でした。日本の建築工芸技術は「ここまでに達した」と言わんばかりに、1860年代のパリ改造時代に流行したネオ・バロック様式で設計されました。

迎賓館として晩さん会や記者会見に使われる広い「花鳥の間」は、木目調の壁に囲まれとてもシックな印象です。他の部屋の多くは宮殿建築では一般的な白を基調とした部屋であるため、落ち着きを感じさせます。壁には並河靖之と並んで明治の七宝焼を代表する濤川惣助の七宝焼の花鳥画を見ることができます。流れるような優雅さを焼き物として表現した七宝焼の傑作です。

【公式サイトの画像】 花鳥の間



ネオ・バロック様式の建築は、パリのオペラ座(ガルニエ宮)が代表例です。19世紀のヨーロッパではフランス革命期の動乱が落ち着くと、「ネオ~様式」と呼ばれるゴシック・ルネサンス・バロックといった古い様式の復古が流行しました。バロックは重厚感があるため、設計時には東宮御所としてふさわしいと考えられたのでしょう。

しかし全体の印象としては、日本の西洋建築としての個性が感じられません。日本らしさがないのです。欧州の宮殿の模倣に過ぎないという見方をする人もいるでしょう。完成当時に流行していたモダニズムやアール・ヌーヴォーも見られません。

技術的にはとても高い水準であることは間違いないでしょう。しかし人々の信奉を集める主張が弱いのです。文化は模倣するだけは格好がつかず、主張がないと存在感は醸成されません。とにかく西洋と同じものを作るのに一生懸命で、主張を表現するまではできなかった。そんな明治という時代の文化の生き証人であることだけは間違いありません。

ただし赤坂離宮は関東大震災や第二次大戦の空襲を生き抜いた強運の持ち主です。末永く明治ニッポンを物語るかけがえのない文化財であることは間違いありません。皇居の明治宮殿は現存しません。赤坂離宮は国宝にふさわしいと思います。


和風別館

事前予約をすれば、隣接する和風別館も参観できます。1974(昭和49)年の建築です。戦後の鉄筋コンクリート(RC)造りの和風建築の代表例です。しかし使用頻度が低いためと思われますが、空間の印象として老朽化が否めません。私は2005年建築と新しく使用頻度も高い京都迎賓館も参観しましたが、どうしても比較してしまいます。

戦後のRC造りの和風建築のデザインが注目されるにはまだ時間がかかるのかもしれません。それまで取り壊されないよう使い続けられるかにかかっています。

こんなところがあるのです。
ここにしかない「美」があるのです。



明治から終戦まで、一生懸命駆け抜けた時代の生き証人50件を厳選


迎賓館赤坂離宮
【内閣府公式サイト】https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/

原則休館日:水曜日、年末年始、接遇等による非公開日
入館(拝観)受付時間:10:00~16:30

※公開されていない美術品や部屋があります。



おすすめ交通機関:
JR中央線「四ッ谷」駅下車、赤坂口から徒歩7分
東京メトロ丸の内線「四ッ谷」駅下車、1番出口から徒歩7分
東京メトロ南北線「四ッ谷」駅下車、2番出口から徒歩7分
JR東京駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:20分
東京駅→JR中央線快速→四ッ谷

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には駐車場はありません。


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