私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

胃ろう

2010-08-18 | 3老いる
NHK教育のドキュメンタリーで、たまたま「胃ろうの功と罪」なる番組を見た。

何気にチャンネルをコロコロ変えていたのだが、行き当たった時から見入らずにはいられなくなった。

亡くなって半年になる父は、まさにその「胃ろう」の御蔭で晩年の4年余りを生きさせてもらっていた。

脳梗塞の後遺症で嚥下困難になり、頻回の誤嚥性肺炎と栄養不良に苦しんでいた結果の「胃ろう造設」だった。
「胃ろう」対応するか否かの時期には

「呼吸が止まったらどうする?」→気管切開して人工呼吸器を取り付ける?それとも…。
「心臓が止まったらどうする?」→心臓マッサージを施す?それとも…。
「食べられなくなったどうする?」→胃ろう造設して直接栄養を胃に送る?それとも…。

あらゆる状況を想定して、色々な局面で判断を下す時の覚悟をしておくよう、親しく対応して下さった看護師さんから言われていた。

しかし、実際のところそのどの局面についても、想像力を働かすための知識を私はほとんど持っていなかった。

そのドキュメンタリーを見て、老人に「胃ろう」を施すのは日本に特異な対応であって、本来「胃ろう」は主として若年者の栄養摂取の問題に対応するものだったということを初めて知った。

「胃ろう」について私には何の知識もなく、病棟で見かける「胃ろう」造設された御老人達の姿や、人づてに聞く「胃ろう」で晩年を過ごされた御老人のエピソードといったものがわずかに得ていた情報だった。
私は、いよいよ血中栄養濃度の低下甚だしい状況に陥った父について、判断を求める医師に、ただ専門外の契約などについて専門家の判断を仰ぐ時のように「先生のお身内だったらどうなさいますか」というクェスチョンに対する医師の答えを求めてそのまま乗っかるしかなかった。

具体的には何も知らない私だった。

担当医師の応対は善意に溢れていて、感謝に堪えないものだった。
しかし、余りにも私の情報と知識は乏しかった。

「どうした対応をとるのがベストか」といったことを教えてくれる人は実に少ない。
又、人ひとりの生命を左右する判断に助言の出来る人は、なかなかいないのが現実だろう。

こんなに高齢者で溢れた社会だというのに、最晩年の命のあり方について、もっと語られるべきだし、もっと誰もが考えておくべきだと思う。

所在不明高齢者の問題や、医療費支出が史上最高になったなんて話を聞くにつけ、本当に望んだ選択をどれだけの人々が実現出来ているだろうかと考える。

今になっても「胃ろう」の造設を後悔はしていないが、もっと話せる間に父とそうしたことについて話しておくべきだった…という思いはある。
話せなくなる前に、それは言語機能の健全なうちにという意味も、人間関係の健やかなうちにという意味も併せて思うことだ。
コメント
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