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初夏に猛禽を撮りに行ったとき立ち寄った佐倉の歴史博物館。
元々佐倉城址、佐倉連隊跡地の広大な敷地に建てられているだけあって、大きく綺麗で立派!
館内の係員の方たちも皆好感の持てる態度でとても気持ち良く見学できる施設だと思いました。
・・・ただひとつ気になったのは、古代史から近代に至るまでの解説、文化の伝来や朝鮮通信使の項は昨今の常識とかけ離れた解説が活きているのが気になりました。
朝鮮からことごとく文化を教えて貰ったという戦後意図的にゆがめられた史観をそのまま継承している感を拭えませんでした。

プログラムオート。以下同。










例えば、稲作は半島からの渡来人によって教えられたと漠然と信じている人が多い(教科書でもこの線に沿って習いましたから)のではないでしょうか。
稲の伝播は、雲南省から東シナ海を経由して九州に達するルートだったことはとっくの昔に結論が出ていたにもかかわらず。。昨今はDNA解析を駆使した研究により、更に強固に裏付けられています。
朝鮮半島の、新羅をはじめとする古代国家は、倭人や倭種王が多くの年代に渡って治めていた(隣国の人は認めようとしないでしょうが)と言われており、逆に倭人が朝鮮半島に稲作を伝えたと言うのが本当のところのようです。
一時、国内の朝鮮人は「強制連行」で無理やり連れてこられたという意図的なうそがまかり通っていましたが、作家の鄭 大均さんが次のように書かれていた言葉が思い出されます。
《私は父が「強制連行」で日本に来たのではないことを知っていたし、周囲の在日一世にもそれらしき人はいなかった。
一世とは、無理算段して朝鮮の故郷を脱出した人びとではなかったのか。
とはいえ、この言葉。ときおり左翼のメディアに現れることはあっても、それ以上の影響力を発揮することがないという時代が長く続いた。転機になったのは韓国ブームが起き、日韓の間に教科書問題が生じ、在日たちの指紋押捺(おうなつ)拒否運動が展開された80年代のことである。
メディアで水先案内人の役を担ったのは左派系の人びとであり、この言葉の流布に一役買ったのは彼らである。「強制連行」は大衆化すると変わり身の早い言葉となり、かつてあった名前(徴用、労務動員)をかき消すとともに事実を攪乱(かくらん)させ、やがては「慰安婦」というような言葉に結びついて、有頂天の時代を迎えるのである。》
手段は人それぞれ、様々でしょうが、自分で正しく判断できる(心の)目を養わなくてはいけませんね。
カメラ RICOH GR
撮影日 2014.06.21

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係員の方たちも親切で、さすが国立と言う感じでしたよ!
こちらこそお世話になりました。また来年もヨロシクです。
良いお年をお迎えください!
歴史博物館、行ってみたいですね。^±^
敷地も広そうです。
佐倉市は城下町だったのですね。^±^
今年はお世話になりました。
また来年もよろしくお願いします。^±^
では、よいお年をお迎え下さい。^±^ノ
新聞はじめ各種メディア、主張が異なることも多いし、
ネットの情報も溢れていますしね・・・
情報を判断材料にすることが大切カモ。。ですね。
自分で解釈できる見識を持つことは大事ですね。