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《一病を何処かに忘れ五月晴 》 小島左京
たまたま、こんな俳句を見つけて、
まさしく~!!と嬉しくなってしまった。
今日は、ゆったりとラン&ウォークをしましたが、
皇居のお堀の木々も、
いつのまにやら、
土が見えないくらい葉が生い茂り、
たくましい生命力に感動さえ覚えます
今日は、母がデイケアをお休みしている日。
数ヶ月前から、父が、月から土までの毎日を週4日に、変更してしまったのです。
毎日は、母が疲れて可哀想だからと・・・
その分、父が朝から晩までケアをしなければならないので、大変になる。
父自身も、母の支度をしなくて済むので、この方が楽だと言う。
私が支度をするし、母が帰ってきた頃、手伝いに来るから、デイケアをお休みしない方がいいんじゃない?
と言っても、ダメ。
母にとっても、デイケアへ行けば、歌を歌ったり、お散歩に連れて行ってもらったり、何かと刺激になるので、
身体にも脳にもいいと思うのだが、家にいれば、ずっとソファに座りっぱなしになる・・
私も、ほとんど毎日、食事と母の歯みがきを担当しているけれど、お休みすると、それだけ私もお手伝いしなくちゃ、、になってしまう。
夫には一切迷惑をかけたくないので、両親の生活費は私が出しているのですが、仕事もしないと稼げないしぃ~
なので、Judyは、癌なんかで余命の告知なんぞ、されたら大変なことになるのです
とにかく自分が元気になるまでは、両親になんとか元気でいてもらいたい~
しかし、いろいろと現実を直視していると、なおさら・・・
転移の検査が終わり結果が出ないと、現在のところ、なんとなく心が穏やかではありません。
気持ちのスイッチを色々変えるのは上手いのですが、
潜在意識にあるものは、根強く、しぶとく消えないわけで・・・トホホホ
つくづく癌から少しでも離れたくなります。
そんなんで、自然と、冒頭の俳句が目に留まったのでしょう。
今日は、母を外へ連れ出すのを嫌がる父に反抗して、
母と二人でお散歩へ行く♪
両親の家の近くに高野山東京寺院というお寺があり、
なんとなく母と一緒に手を合わせたくなった。
お寺の扉を開くと、目の前に威厳に満ちて輝く弘法大師。
はたして、母は祈るという動作を覚えているのだろうか?
母は、目を閉じ手を合わせて何度も何度も頭を下げていた。
すっかりやせて、小さくなってしまった母。
私のことも父のことも、時々誰だかわからなくなる母は、今、何を思うのだろう。
私は、祈る母の手の上に、思わず自分の両手を重ねてみたくなった。
「一緒にお祈りしようね。」
母が、子供みたいに、ニコッと笑った。
“ママが苦しくありませんように。”
“ママがいつも幸せでありますように。”
それから、公園に行って、お花を見ながら、ゆっくりと歩く。
そういえば、最近、空ばっかり見てたなあ、と思う。
目の前のものを避けるように、空を見上げていたのかも、、と思った。
気がつくと、母が、下を見てかがんでいる。
「これ、いいわねえー」と微笑んでいる。
母には、もうシンプルな単語しか話せないけれど、
足もとの雑草に中に咲いているピンクのお花を愛おしそうに見ている。
向こうの方には、たくさんのパンジーが並んでいるのというのに、
こんな小さなお花に気づけるのね。
空ばかり見ていた自分を恥じた。
「そうね、かわいいね。」と言いながら涙が出そうになった。
手をつないでいた母の手がギュッと私の手を握った。
まるで「大丈夫よ」と言われているみたいに、母の懐かしいぬくもりを感じた。
癌になってから、何度も、何度も、
何でも相談できる母親がいてくれたら、、、と思っては悲しくなっていた。
こんなそばにいたじゃん!
嬉しくて飛び跳ねたい気持ちになった。
なんて、心からほっとできただろう。
ベンチに座って、母の小さな肩に頬を寄せてみた。
テレパシーで、
ずっと誰にも見せられなかった心が、母に通じた気がした。
ありがとう、ママ
たまたま、こんな俳句を見つけて、
まさしく~!!と嬉しくなってしまった。
今日は、ゆったりとラン&ウォークをしましたが、
皇居のお堀の木々も、
いつのまにやら、
土が見えないくらい葉が生い茂り、
たくましい生命力に感動さえ覚えます
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今日は、母がデイケアをお休みしている日。
数ヶ月前から、父が、月から土までの毎日を週4日に、変更してしまったのです。
毎日は、母が疲れて可哀想だからと・・・
その分、父が朝から晩までケアをしなければならないので、大変になる。
父自身も、母の支度をしなくて済むので、この方が楽だと言う。
私が支度をするし、母が帰ってきた頃、手伝いに来るから、デイケアをお休みしない方がいいんじゃない?
と言っても、ダメ。
母にとっても、デイケアへ行けば、歌を歌ったり、お散歩に連れて行ってもらったり、何かと刺激になるので、
身体にも脳にもいいと思うのだが、家にいれば、ずっとソファに座りっぱなしになる・・
私も、ほとんど毎日、食事と母の歯みがきを担当しているけれど、お休みすると、それだけ私もお手伝いしなくちゃ、、になってしまう。
夫には一切迷惑をかけたくないので、両親の生活費は私が出しているのですが、仕事もしないと稼げないしぃ~
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なので、Judyは、癌なんかで余命の告知なんぞ、されたら大変なことになるのです
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とにかく自分が元気になるまでは、両親になんとか元気でいてもらいたい~
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しかし、いろいろと現実を直視していると、なおさら・・・
転移の検査が終わり結果が出ないと、現在のところ、なんとなく心が穏やかではありません。
気持ちのスイッチを色々変えるのは上手いのですが、
潜在意識にあるものは、根強く、しぶとく消えないわけで・・・トホホホ

つくづく癌から少しでも離れたくなります。
そんなんで、自然と、冒頭の俳句が目に留まったのでしょう。
今日は、母を外へ連れ出すのを嫌がる父に反抗して、
母と二人でお散歩へ行く♪
両親の家の近くに高野山東京寺院というお寺があり、
なんとなく母と一緒に手を合わせたくなった。
お寺の扉を開くと、目の前に威厳に満ちて輝く弘法大師。
はたして、母は祈るという動作を覚えているのだろうか?
母は、目を閉じ手を合わせて何度も何度も頭を下げていた。
すっかりやせて、小さくなってしまった母。
私のことも父のことも、時々誰だかわからなくなる母は、今、何を思うのだろう。
私は、祈る母の手の上に、思わず自分の両手を重ねてみたくなった。
「一緒にお祈りしようね。」
母が、子供みたいに、ニコッと笑った。
“ママが苦しくありませんように。”
“ママがいつも幸せでありますように。”
それから、公園に行って、お花を見ながら、ゆっくりと歩く。
そういえば、最近、空ばっかり見てたなあ、と思う。
目の前のものを避けるように、空を見上げていたのかも、、と思った。
気がつくと、母が、下を見てかがんでいる。
「これ、いいわねえー」と微笑んでいる。
母には、もうシンプルな単語しか話せないけれど、
足もとの雑草に中に咲いているピンクのお花を愛おしそうに見ている。
向こうの方には、たくさんのパンジーが並んでいるのというのに、
こんな小さなお花に気づけるのね。
空ばかり見ていた自分を恥じた。
「そうね、かわいいね。」と言いながら涙が出そうになった。
手をつないでいた母の手がギュッと私の手を握った。
まるで「大丈夫よ」と言われているみたいに、母の懐かしいぬくもりを感じた。
癌になってから、何度も、何度も、
何でも相談できる母親がいてくれたら、、、と思っては悲しくなっていた。
こんなそばにいたじゃん!
嬉しくて飛び跳ねたい気持ちになった。
なんて、心からほっとできただろう。
ベンチに座って、母の小さな肩に頬を寄せてみた。
テレパシーで、
ずっと誰にも見せられなかった心が、母に通じた気がした。
ありがとう、ママ
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Judyさんの周りには
私達がいることも忘れないでくださいね。
何度もコメントでやりとりしていると、その人の人柄が、会ったことがなくても伝わってくるんですね。
人間は、インターネットによって、書いて伝える表現力って、進化しているかもしれませんね。
私は、書くのが好きだから、愛があふれて愛が伝わるような文章を書けるようになりたいと思いま~す
このBlogからも~
私の親族で癌はいなかったから、私も癌とは無縁と思っていました。
義理の叔母が子宮癌になり「幸せ過ぎたからかしら。」と言ってました。その叔母も今も会いで溢れています。
私も独身ですが、違う意味の愛には溢れてました。幸せ過ぎ?
乳癌は神様の意地悪か、短い間の試練と思って頑張ります。癌を克服された方の話を直接うかがうと本当に元気になりますよ。
私も負けません。Judyさんを見習って外見も中身も美しくあろうと思います。
いつか素敵なおばあさんになりましょうね。