5日~8日までの3泊4日、妹たちとの旅はお天気に恵まれ、今日、「楽しかったあ~、何だか一週間ほどの旅をしたみたい。」言って帰って行きました。
覚え書きととして今日は7日、3日目を記録しておきます。
松本はブログでずっとなっているmcnjさん出身地だということで、一段と嬉しい気持ちになりました。
宿は松本駅の真ん前に取りました。フロントは10階にありました。妹たちと「なんで10階なんだろうね?」と言いながらエレベーターで10階に上げるとその理由はすぐにわかりました。
フロントの横には広いレストランがあり、食事の時間だけでなく解放されています。
穂高連峰、立山の山々が目の前に広がっています。生憎雲が掛かっていて頂上の方は見えませんでしたが、それでも素晴しぃと感じるものでした。
(穂高を日高と書き間違えて、山小屋さんから指摘がありました。妹からもそのことが書かれていまして、訂正いたしました。)
景色を見ながらの朝食が美味しかったなあ。
さあ、腹ごしらえができました。松本に来たら松本城に行きましょう。
ホテルをチェックアウトし、駅で荷物をロッカーに預け、さあ、松本城へ。
でもその前に、昨日貸し切りタクシーの運転手さんが勧めてくれた旧開智学校へ行って見ましょう。
せっかくだから、市内バスにも乗ってみましょう、と3姉妹、ウキウキ気分です。
バス乗り場21番より旧開智学校にスイカで乗り込みました。スイカが使えることにも感激。
ちょっと残念だったのは旧開智学校は耐震対策工事のために3年半休館して、令和6年11月9日から見学ができるのだそうです。
2日早かった、残念!
ウィキペディアにはこのように紹介されています。
旧開智学校(きゅうかいちがっこう)は、1876年(明治9年)に長野県松本市本町一丁目(現在の松本市中央2丁目)に建てられ、その後、現在地である松本市沢村(現在の松本市開智2丁目)に移築された明治時代初期の擬洋風建築の校舎である。文明開化時代の小学校建築を代表する建物として広く知られている[6]。1963年(昭和37年)3月まで松本市立開智小学校の校舎として使用されていた。
中には入れなかったけど、素敵な建物を見ただけでも感動ものでした。
ボランティアの方が手作りの資料を取出しながら、説明してくれました。
さあ、いよいよ松本城へ向かいます。ボツボツ歩いて行くことにしました。
旧開智学校から駅方向に向かいます。周囲の木々は色づき始めていました。
いよいよ松本城。
城に着く前に菊花展をやっておりました。
お城が近づいてきました。
天守閣へ登る階段がそれは、それは厳しいものでした。
段の高さが40センチが続くところがあります。私の短い足でほんとに大変です。
「次、来る機会があったら、私は下で待っているからね。」と私は言ったら、妹たちも右に同じと笑いました。
妹が「夫が城を見るのが好きだったから、幾つも城の見物に行ったけど、こんなに厳しい階段はなかった、と言っております。
(階段についても妹が調べてくれ、もっときつい階段は、主人の出身県にある丸岡城で1階から2階に上る階段が65度、2階から3階部分で67度の傾斜となっており、全国でも珍しい急階段です。因みに階段の段差は30センチ。段差では松本城の方が大きいようです。ううん、どっちがキツいんだろう?)
城を後にして駅に向かいます。
券を取っている「あずさ42号」には時間があります。
駅ビルの中を回ってお土産を買い、そしてやっぱりお蕎麦を食べなきゃとなりました。
美味しゅうございました。
更に電車の中で味わおうと野沢菜入りのお焼きを買いました。
ホテルの朝食にお焼きがあったのですが、野沢菜入りではありませんでした。
やっぱり野沢菜入りが1番です。何て言いながら電車に乗っていたのですが、妹が「あれ、富士山かな?」と言いました。「あ、そうよ、撮って。」と私。
3日目もいい旅でした。
お出でいただきありがとうございます。