19日の日記に書いた二行がまた、頭に浮かびました。
>その足枷が戦争では困りますが、例えば、親のため、
>兄弟のために我慢する。
>昔はそんなこと、当たり前のことでしたね。
では、昨日の私の日記を読んで、そのobataさんが掲示板に書いて下さった一部を紹介いたします。田舎に仕送りするために独立されたのです。ピンチに立たされることはその人が鍛えられる時間でもあるんですよね。
そして人の情けを知る時間でもあるかしら。
>当時の二万円は勤めて貰って居た給料ではとても、
>サラリーマンでは送れる額では有りません。
>仕方なく無理を言って辞めて、食堂を開きました。
>建築ブームで職人さんを月払いで食べさせて、
>一気に軌道には乗せましたが、
>朝五時前から晩の10時過ぎまで働きました。
>集金は相変わらず下手で、随分食い逃げされました。
>でも今でも此方に来たら寄ってくれる人も居ます。
昭和41年、私の給料は手取りが1万8千円台でした。
私はobataさんのように家族を背負える者ではありませんでしたが、好きだった洋裁は、働きながら夜間の洋裁学校へ通いました。1万8千円の給料から意を決してタイマイ2千円を払って買った鋏は今も大事な宝です。
上の娘が小学校4年生になった時、洋裁道具が必要になり、鋏は私の「宝の鋏」を持たせたのですが、「絶対に紙は切らないでよ。すぐに切れなくなるんだから。大事に使って来たんだから。」などなど、グチグチと煩いことを言ったものですから、娘が言ったんです。
「お母さん、その鋏は『お母さんの形見』でいいから、もっと気にしなくてもいい、安い鋏を買ってよ。」と。はい。安い鋏を買いました。
あれから他に何本も鋏を買ったけど、40年も残って現役で使えるのはこの鋏だけです(^^)
(上の鋏がそうです。大分くたびれてはいますけど。)
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