自分が”負けず嫌いの頑張り屋”ということを思い出した日です。
今日は昔話をしようと思います。
今、この写真を見てもだれもわからないと思うし、少しボケてもいるので、そのまま載せます。
私は人からよく努力家、頑張り屋、研究熱心等とか言われます。
実はあまり嬉しくないのです。自分はそうじゃない、という思いがあるからです。
今朝、ブロ友さんが静岡の日本平ををアップしてくださいました。
懐かしい場所です。
と、言いますのも私は沖縄の高校を出て、静岡のT観光会社にバスガイドとして就職しました。
日本平は何度も、何度も行ったところです。
日本平パークウェイはドイツのアウトバーンと同じようにクロソイド曲線を
取り入れて作られています、と説明しました。
今では当たり前ですが、五十数年前は珍しかったようです。
その年、T観光に沖縄から私を含め6名が入社しました。
ところで、私は 内地に行くのを親が反対して、結局許してくれましたが、
他の人より2ヶ月遅れで入社しました。
団体旅行全盛の時代です。
バスガイドは各コースの説明が載ったガイドブックを渡されます。
一度は研修があり、新人ガイドたちをみんなで同じバスに乗って先輩が手本を見せてもらいます。
2回目からはガイドブックを見つつ、運転手にも場所を教わりながらぶっつけ本番で覚えて行きます。
2ヶ月遅れで入った私は沖縄出身の人は兎も角、地元入社の人たちもいて、
その中で差を埋めていくのにどうしたもんか、考えました。
全く土地勘もない中で私がやったことは、自分流の地図を作ることでした。
この地図の話、誰にも話したことはないんですが、こんな所で話す機会があるとは……。
A4の大学ノートの紙を半分のサイズにし、これをノリで貼り付けて長~いものを作りました。
そして下のような自分だけがわかる地図を作ってガイドブックと合わせながら覚えて行きました。
新人ガイドたちは1~2年は東専門(箱根、神奈川、山梨など)と
西専門(浜松、愛知など)のコースに別れてやっていきます。
その中で私は西も東も行ける人でした。
地元入社の人を含めて、それは私だけでした。
そう。私はそのぐらい負けず嫌いでした。
顔に出てますでしょうか?
真ん中が私
五十数年前はウエストのくびれがありました。
お出でいただきありがとうございます。