私が、ブッタの生まれたインドの佛跡を最初に訪れたのが1972年。
とりつかれたように周辺諸国への独り旅を続けてまいりましたが、ボロブドゥール遺跡には10年の後であった。
そればかりか、アンコールワット(カンボジア)もおなじであった。
きっかけになったのは、今でも大切な資料になっている、1981年の2月の中日新聞。ボロブドゥールのユネスコによる解体・修復保存の報道が、かの地へとすっ飛んでいった最初であった。
ジョクジャの大都市から直通バスがあるらしいのだが、私にはどうしてもそのバスがわからないでいる。(今も)
素直に観光バスに乗ればいいのだが「イヤ・田舎バスを乗り継ぎしてゆくんだ。それが旅だ」と、馬鹿に近いやせがまんの旅。
いつも間違えてしまうのですが、そのたびに、とんでもない村・町にいき、二日がかり担ってしまうことも度々。
名前は忘れてしまったのですが、遺跡の手前の小さな町は、背後に富士山を思わせる活火山ムラピ山がそびえ、ノボッテミヨウカナーという気をおこしたが、それまで。
ようやくたどり着く、ボロブドールは、お釈迦様が露天風呂につかり、世界の平安を確信しているお姿がある。
日本からの団体も多いのですが、なかには、ゴルフの話ばかりしている一団も珍しくない。
一面に広がる、濃い緑の大地に、予定のゴルフツアーに思いがはせているのでしょう。
遺跡の見学はどこも暑いのですが、石積みのボロブドールは木陰がなく、ひときは暑いことを覚悟してください。てきるなら、午前中をお勧め致します。
写真--御教授くださいといわれても、私入浴中なんですけど・・。
とりつかれたように周辺諸国への独り旅を続けてまいりましたが、ボロブドゥール遺跡には10年の後であった。
そればかりか、アンコールワット(カンボジア)もおなじであった。
きっかけになったのは、今でも大切な資料になっている、1981年の2月の中日新聞。ボロブドゥールのユネスコによる解体・修復保存の報道が、かの地へとすっ飛んでいった最初であった。
ジョクジャの大都市から直通バスがあるらしいのだが、私にはどうしてもそのバスがわからないでいる。(今も)
素直に観光バスに乗ればいいのだが「イヤ・田舎バスを乗り継ぎしてゆくんだ。それが旅だ」と、馬鹿に近いやせがまんの旅。
いつも間違えてしまうのですが、そのたびに、とんでもない村・町にいき、二日がかり担ってしまうことも度々。
名前は忘れてしまったのですが、遺跡の手前の小さな町は、背後に富士山を思わせる活火山ムラピ山がそびえ、ノボッテミヨウカナーという気をおこしたが、それまで。
ようやくたどり着く、ボロブドールは、お釈迦様が露天風呂につかり、世界の平安を確信しているお姿がある。
日本からの団体も多いのですが、なかには、ゴルフの話ばかりしている一団も珍しくない。
一面に広がる、濃い緑の大地に、予定のゴルフツアーに思いがはせているのでしょう。
遺跡の見学はどこも暑いのですが、石積みのボロブドールは木陰がなく、ひときは暑いことを覚悟してください。てきるなら、午前中をお勧め致します。
写真--御教授くださいといわれても、私入浴中なんですけど・・。
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