先の25日に起きたネパール大地震は、日に日に悲惨な被害が拡大していきます。
ワールドニュースやNETで報じられる地域のほとんどが見知った所です。
と言いますのは、私が最初にネパールを訪れたのは1972年のこと。
つづいて1974年には登山隊の学術隊員として参加しました。
当時は鎖国を続けていたネパールが、中間都市部を開放してまもないころでした。
ヒマラヤのピークのほとんどが中国との国境地帯で、入域にはかなりうるさく、
登山と言っても申請は学術調査でした。
私はチベット仏教に興味がありましたが、とてもうんちくを言えるほどではありませんでしたが、
ともかくチベット仏教の廃寺調査学術隊員として、一般のトレッカーでは立ち入れない地域に行かれたのです。
ソレが縁でとりつかれたように、ネパールには幾度となく訪れるようになっていたのです。
話を地震に戻りますと、ただいま報道されている範囲は車道が通っている範囲。
言うまでもなくネパールは峻烈な山の国で、地図に道が記されていても人が通れるだけの山道です。
日本と比例したら、岩や崖を削った登山道が寒村をつないでいるのです。
(ソンなところを秘境と称しますが、私は失礼な話だと思っています)
この度の地震で、そのような道が寸断されてしまったことでしょう。
今後もしかしたらたヒマラヤの斜面に点在する村が、丸ごと崩壊していることが発見されるかもしれません。
被害はますます大きくなっていくことでしょう。
とりあえず、わずかながらも救援基金に協力しよう・・。
残念ながら当時の写真はデジタル化整理をしていません。
写真は小生の作品です。