壮大なお葬式の話の前に、私がお世話になった、トラジャ族の人々の生活ぶりを、お話いたしましょう。
町で知り合った青年が幾分か英語が通じたので、にわかガイドマンとして手伝ってもらう。
山すそに見える集落を目指し、棚田を適当に行く。
突然現れた闖入者に、広場で遊んでいた子供たちが泣き出すやら、いしを投げられるやら、大騒ぎ。
70年代にネパールの寒村を訪ねたときと、同じだった。
お土産用のビスケットや飴をとりだす。これは旅のコツでもある。
集落の人口は不明だったが、お年寄りと女子供ばかりだった。
学校はあったが、通っている様子は無かった。
集落は母屋(トンコナン)が5棟、作業場をはさんで米倉が平行に並ぶ。
周囲は竹林があり、建築材料として欠かせないが、水汲み・ザル・籠などばかりでなく、竹筒に米や肉などを詰め、火にかける蒸し器として、日常生活に欠かせない。
竹林とともに椰子林が広がる。
食料や油ばかりでなく、地酒(トアック)用の椰子もある。
バナナのような房状の茎を切り、樹液を自然発酵させたものだ。
高さ10メートル以上ある木の上部に竹筒がぶら下がり、回収にはまるで猿のごとき技で、木々を渡っていく。
インドネシアの中でも、特に旨いといわれ、どぶろくに似た味で、こりゃーイケル!!
トラジャ族は基本的には、稲作農耕民だが、米飯はぜいたく品で、サゴヤシの澱粉やタロイモだった。
塩味の菜っ葉煮ていどのおかずで、3日もしたらましなものが食いたくなってしまった。
特に貧しかった地域に入り込んでしまったかもしれないが、貧しい。かなり貧しかった。(別な集落では、小さな店はあったが・・)
美術品のような伝統家屋トンコナンだけに、一層ギャップを感じてしまった。
町で知り合った青年が幾分か英語が通じたので、にわかガイドマンとして手伝ってもらう。
山すそに見える集落を目指し、棚田を適当に行く。
突然現れた闖入者に、広場で遊んでいた子供たちが泣き出すやら、いしを投げられるやら、大騒ぎ。
70年代にネパールの寒村を訪ねたときと、同じだった。
お土産用のビスケットや飴をとりだす。これは旅のコツでもある。
集落の人口は不明だったが、お年寄りと女子供ばかりだった。
学校はあったが、通っている様子は無かった。
集落は母屋(トンコナン)が5棟、作業場をはさんで米倉が平行に並ぶ。
周囲は竹林があり、建築材料として欠かせないが、水汲み・ザル・籠などばかりでなく、竹筒に米や肉などを詰め、火にかける蒸し器として、日常生活に欠かせない。
竹林とともに椰子林が広がる。
食料や油ばかりでなく、地酒(トアック)用の椰子もある。
バナナのような房状の茎を切り、樹液を自然発酵させたものだ。
高さ10メートル以上ある木の上部に竹筒がぶら下がり、回収にはまるで猿のごとき技で、木々を渡っていく。
インドネシアの中でも、特に旨いといわれ、どぶろくに似た味で、こりゃーイケル!!
トラジャ族は基本的には、稲作農耕民だが、米飯はぜいたく品で、サゴヤシの澱粉やタロイモだった。
塩味の菜っ葉煮ていどのおかずで、3日もしたらましなものが食いたくなってしまった。
特に貧しかった地域に入り込んでしまったかもしれないが、貧しい。かなり貧しかった。(別な集落では、小さな店はあったが・・)
美術品のような伝統家屋トンコナンだけに、一層ギャップを感じてしまった。