![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/33/f17a3190a0044ca03bf377d2057837fb.jpg)
木々に覆われた川を、船外機をつけた丸木船で遡上。
ダヤック族の昔からの村ではないが、20軒ほどの移住地に行く。
集落に入ると、子供の声がしたはずなのに、人気がなくなってしまった。
強烈な光に照らされた砂道が、静けかえり、印象的だった。
村内は日中は、老人や女子供ばかりで、よそ者に対しての警戒心と、特に挨拶の習慣がないらしい。
つまり、私たち三人の対応に戸惑って、家の中から見ていたわけだ。
歳は40代で、キリッとしたハンサムな村長さんのお宅に世話になる。
村長のたどたどしいインドネシア語--アムラム君の英語--私のたどたどしき英語
なんとも、話半分どころか10分の一程度の、学術的(??)ンンタビューだった。
ダヤックの美術的表現については、めんどうなので割愛しますが、私には納得い行かないでいた「曼荼羅絵画のすきま」をうめてくれるものだった。
そして、命の永遠なつながり『連続スル生命体』の作品へとなっていきました。
http://ryuomaru3.web.fc2.com/man-aisatu.html
二日ほどして、夜に病気治療の祈祷があるから、見学に行けと。
通りを散歩しても、もう顔なじみになり、「たばこと1万ルピア」を持参し下見にいく。
タケで作られた込み入った作りの祭壇があり、すでにかなりの現金が献上されていた。
少し雰囲気の違った、Tシャッツ姿のオッチャンが二人。
いたって愛想よく迎えてくれ、写真を撮る。今夜ぜひ来てくれと・・。
ガイドのアムラム君。私を日本のTV局(セミプロ級のビデオカメラを持ち込んでいた)の者だとフイていたようだった。
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