のちの予報でしたが今現在までは降ってません
日中は30℃ 暑かった!
家の片づけをしていたら 実家の父の遺作が出てきました
実家の売却するにあたって何作か持ち帰っていました
その中に 私の知らなかった(覚えてないだけかも)母の入院の事が
書かれてました
もちろん 実名ではないけど 明らかに母の事です
阪神淡路大震災の直後の事です
その時 震災によってリュックが品不足になり
業者から頼まれた大量のリュックを縫製したのが
疲れとしてでたのかもしれない
調子が悪そうな母を見て 単なる風邪ぐらいに見ていた父
自分で病院に行き 入院となった母
その時の父の思い 懺悔 兄嫁の献身的な看病
母の入院の間 父の生涯初めての食事の支度
今さらながら妻の労力を思い知らされ
食パンの耳をいつも切っていた妻に
単なる耳が固いからだろうと思っていた
妻が毎日野鳥たちにパンの耳や野菜などあげていたのを
鳥たちの催促のさえずりで気がついたこと
そして 同じように父も真似して野菜をおくけど
見知らぬ男に小鳥たちは恐れをなして近寄ろうともしない、、と書かれていた
でも 何日かたつと恐る恐る食べている様子に何だかホットしたようだ
兄嫁や孫が差し入れしてくれる料理に
入院している妻に申し訳ない気もありながら舌鼓を打つ
母と同室に同級生の女性がいたことで
かすかに淡い思い出がよみがえった事
やっと夫婦二人の落ち着いた生活の中に
思いもしなかった妻の入院に驚き
自分のふがいなさを痛感した父
この心情が書かれている
そしてもう一作は 父の幼少の頃の話
父の父(祖父)は警察官だったので転勤が多く
落ち着いて暮らした故郷という思い出がなく
勇逸 心の拠り所としていたのは父の母の生家
長男として生まれたけど足が生まれつき悪かったので
父の存在はあまり居心地が良くなかったと思われる
休みの度に
名家だった祖母の家に行くと誰もいじめることなく
皆が可愛がってくれ そこでできた友達と遊ぶときが
父には一番の幸せだったらしい
その文章の中に書かれている 父の波乱万丈の人生が
再び 思い起こされて 今は亡き両親に
もっともっと親孝行ができなかったのかと自責の念です