(祭りはこれからだよ・・・ぺきん)
山笠も終わりますた
ますたね
熱い祭りはいい
暑い夏がさらに熱くなり
夏を意識させてくれる
なんてさ
参加してないあたしが言うか
いえいえ
追い山中継ベッドで見てましたし
半睡状態でしたが
午前4頃からの中継はちょっと
いつもやっと寝に入る頃やし
祭りは好きだが屋台の並ぶ祭りのほう
アセチレンガスと雑多な匂いのする
神社の参道に賛同
まあ
熱すぎる祭りは男達の闘争本能の燃焼場だから
どんどん燃焼して鎮めてくれ
平和を守るためにも?
闘争本能といえば
なんと言っても闘牛だね
闘牛といえばスペインやメキシコ
ラテンアメリカ
ジプシー・ロマ・ボヘミアン
いやヒターノの国
そういえば
今の流行のファッションは
テーマはボヘミアンらしい
るるが 高校生の頃
流行ったファッションが
また時代を経て巡ってきている
ね?
と、ソンさん(日本人)に言ったら
「私が小学校の時ね。」
と返事があった・・・そうきたか
それは置いといて
天神の「あげ嬢」を見に行こうとソンさんは言った
若者ご用達のビル「ビブレ」に
あげ嬢??とや?
うん髪をこうやって
盛って~盛って~てしているでしょ
店員さん?
ハウスマヌカンともいう人種
ギャルのファッションリーダー達
たしかに頭が
頭のてっぺんが盛り上がっている!
そうか あげ嬢。というのか・・・。
あげまん。なら知っているが
「その発想がおばさんでしょ!」
とたしなめられつつ
盛った髪の中には
いったい何が入っている?
きっと
雄牛にとどめを刺す為の剣が隠してあるに違いない
ラテンインディオに通じるなにかがある
と密かに思っている るるである
スペインバスク地方
シュテ・デ・フーリオ(7月7日)
ナバラ王国の祭り
聖フェルミン祭
パンプローナ(スペインの北の街)
雄牛追い祭りはちょっと見てみたい
まだ職業闘牛士のいない頃
命懸けの狂乱祝祭でもあった
一人前の男になる為の
勇気と誇りをもたらす儀式でもあるのか?
しかし
多くの若者が負傷し死ぬこともあった
牛は神聖であるがゆえ神に捧げられ
「太陽への旅立ち」ピアッへ・アル・ソルと呼ぶ
はたして死んだ牛は至福の旅を得たかどうか
闘牛の是非は兎も角
色彩にあふれる狂乱祝祭は植民地となった
マヤ・アステカ・インカの地にも輸入された
闘牛祭りは
暗黒恐怖との闘いでもあると勝手に思う
その暗黒を征したのが太陽だ
もともと太陽を崇める民族だよね
アステカ宗教の中央に太陽神がある
人身御供。人の心臓をも捧げよという
メキシコのポポロカ族の民話じゃ
太陽と月はきょうだいであったという
姉の月と弟の太陽
彼らはまだ光をもたず
世界はまだ暗闇だった
もっと光が欲しい
人間達が太陽と月に
火の中に飛び込むように言った
が
月は怖がって火に落ちて火の一部を消し
わずかしか光を得ることができず
弟の太陽は勇気を持って飛び込んだから
たくさん光を得た
そして人々を暗闇から救い
多くの恵みをもたらす神となる
ラテンアメリカはカトリック文化圏
太陽がキリストで月はマリアである
そういえば
メキシコの名前にはマリアが多いよね
ほかにも
もともと月も太陽と同じに輝いていたのを
ある出来事の罰の為に
月にうさぎをぶつけたという
その時から月の光は弱まり
ウサギの形のアザができたという話もあるらしい
おもしろいなあ
痣なんだウサギのかげは
もちついてる ばあいじゃなく
尻餅ついたかもね
月は巡礼の旅に出ろってか
巡礼か
巡礼にごほうしゃ~って日本じゃいうが
して。かかさんの名は?
あ~い 月のかかさんは誰なのか?
話が見えなくなってきました
とりとめないのはいつもです
ラテンインディオの巡礼文化は
土着的宗教的熱気に満ちていて
聖地を巡ることは祝祭的要素が大きい
ストイックに祈りの目的地を目指し
辿り着くと饗宴を楽しむ
巡礼(ロメリーア)
語源はローマへお参りすることからだ
古代から歌や踊りの宴は神をもてなすことでもある
日本でも神話じゃ
アマテラスの頃からそうだったし
太陽天照るさんを洞窟から外へひっぱりだす為に
人々は歌い踊り
卑猥にもエロチックにもならねばならない(笑)
実際神話じゃ
歌や踊りだけじゃ天照大神は洞窟から出ず
人間たちのエロチックなまでの出し物?
による盛り上がりについ岩戸を明けましたし
メキシコにも似た話があるらしい
南ペルーじゃハゲワシ(コンドル)対 牛の闘い
というのもある
ブイトレ(ワピコンドル)の踊り
コンドル・ラチ
ペルーヤナカ村七月
牛の脇腹に紐でコンドルをつなぎ
闘わせる?
というより暴れさせる?
1500年代
マヤ・アステカ・インカ文明を征服し
植民地化するスペインはその過程において
多くのインディオを虐殺、破壊と略奪の歴史がある
だから
スペイン征服者を牛に見立てた擬似報復祭りで
恨みを神鳥コンドルに託したのだという説もある
牛もコンドルも迷惑な話ではある
今では保護されている鳥だから
祭りも変化しただろうけど
どうなったかは知りません
逆に北では
コンドルをなぐり殺す祭りもあるらしく
牛の替わりにコンドル対人間となり
闘うとはいっても縛り付けて一方的になぶる
動物虐待の祭りである
これは異教徒のインディオ根絶を意味するとか
むごいが人間はそうやって怒りや恐怖をおさめてきたんだろう
征服者スペインから牛が持ち込まれ牧畜も広まり
闘牛も持ち込まれた
闘争本能はインカ帝国からの伝承もあってか
闘牛はすんなり気に入られアンデスインディオに浸透していく
アルゲータスの「血の祭り」という小説
伝説の雄牛がでてくるらしい
こんど読んでみようと思う
ちょっと怖いが・・・。
最大関心事はいかに雄牛が荒々しいかであるという
闘牛祭りで怪我人死者がでると
翌年はよい年になるとまで言うから
祭りで死んだ人はある意味英雄でもある
祭りとは肝っ玉(魂)を神に捧げることでもアル
今日でブログ300回目更新です
ちょっと私的にめでたい気もする
こんなに続くとは奇蹟に近い
もういつ止めても良いな
ではでは 明日も
小さい肝っ玉を大切にしようと思う