


少し涼しくなったので家事も楽になった。食器棚を整理していたら、せんじ薬用土瓶と雪平土鍋が見つかった。
土瓶は母が施設に入所するまで愛用していたもので、七輪の上に乗っていた懐かしい景色を思い出す。顔を近づけても、せんじ薬の香りは残っていなかったが、香ってきた感じがした。
土鍋は、子どもの離乳食のおかゆを作っていたもので、熱々を冷ましながら食べさせていた日々が鮮明によみがえった。
あまりに感傷的かもしれないが、命をはぐくんだ土器が愛おしくなり、花屋さんまた命の与えてもらいに出かけた。今まで古い花器をたくさん生かしてもらっていたので、すぐに理解して取り掛かってくださった。
黒い土瓶にはピンクの可憐な花が、水屋に置くと母が今を見守ってくれている気配がしてきた。長生きした母は可憐な少女時代に帰りたかったのだろう、その思いを受け止められる自分もまたその頃に帰りたい一人だ。
茶色の土鍋には秋の奥深いイメージの花が生けられ、人生を哲学的に解すると、「なんでもない一日が大切」と日々の丁寧な積み重ねを教えている気がした。飾らない日々でも経験の質を高める努力はしたいもの、この花はそれを教えてくれた。子どもにも伝えたい。
また、消耗品といえば消耗品の物を減らせられなかったが、今しばらく思い出の品を大事にする自分とも付きあっていこう。 (._.)