「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

30歳で「取締役営業部長」に

2010-01-30 | 日記
不動産会社が倒産した後いくつかの会社を渡り歩いていたのだが、ある日突然勤めていた会社に、倒産して詐欺事件になった不動産会社の社長だった人から電話が来たのです。
事件の責任をとって「懲役2年」の刑に服していたのだが、出所して新しい会社を立ち上げようと思うのだが、「一度あって話したいが、ぜひとも君に手伝って欲しい」と言われたのです。
始めは少し迷っていたのだが、未だ若かった私はチャレンジする事に決め、当時は100万円ほど貯金があってので、それを出資したため「取締役営業部長」と言う大役を任されたのだが、実際には5人しかいない会社で、「部下はゼロ」だったのですが、不動産業の世界は「ハッタリ」が当たり前で、勝手に「課長・係長」などと言う肩書きの名刺を作る人が大勢いたのですが、私の場合は「社長の代役」もしなくてはいけないのですから大変です。
単なる営業だけであれば「ある程度のハッタリ」も通用するでしょうが、「社長の代理」として銀行や他所の不動産会社にも行かなくてはいけないのですから、その苦労は並大抵の物ではないのですが、元々が老けて見られることが多かった私(当時は40くらいに見られていた)なので、外見的には「取締役営業部長」として有る程度通用はするのだが、話の内容がそれに相応しないと信用されないため話には気をつけていたが、早稲田中学時代に必修科目として「政治経済」を学んでた事が大いに役にったったのです。
その一方で、ゴルフの話題も良く出るため、話を合わせているうちにいろいろと覚えてしまったのですが、実際にゴルフ場でプレイをした事はありません。
ゴルフに関しては、イギリスでは「紳士のスポーツ」と言われているのだが、私に言わせれば、「日本のゴルフは貧士のスポーツ」としか感じられないのだが・・・・。
そして、この会社に入った頃に「家を出なければならない」と言う状況に追い込まれてしまったのです。
父にすれば私に店を継いで欲しかったようなのだが、私が態度をハッキリとしなかったことから、上の姉(当時他で店を開いていたのだが、場所が悪く余り売れていなかった)が横合いから「それなら私がやる!」と言い出し、それについては「お前がいると目障りだ!」と言う理由で私が家を出ることになったのです。
アパート暮らしをするつもりがなかった私は、ダメモトで「家を買う頭金として300万出してくれ」と言ったところ、「わかった」とあっさり了解されたのです。
それからは仕事の合間に土地探しをしたのだが、当時でも300万の頭金で家を建てるのはかなり難しいことで、やっとの思いで今の場所を見つけたのですが、このことに関しては「幸運に恵まれた」と言っても良いと思います。
土地に関しては、当初会社に話しが持ち込まれたのだが、地型や面積が会社の希望と一致せず、会社が買取に躊躇していたため「私が買います」と言う言い分が通り、通常より安い価格で手に入れることが出来、更に幸運なことには、建築契約締結半年後(建築工事は始まっていたが)に「第一次石油ショック」に襲われたのです。
後半年遅ければ「建築価格の大幅なアップ」は避けられず、「家を建てられない」と言う事態にも成りかねなかったのですから「運がよかった」と思いますが、石油ショックの1年後には更なる不運が待っていたのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする